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雑多な語り場。所謂「オタク」「同人」「二次創作」と呼ばれる要素全開かつ超ミーハーなので、そういったものが苦手な方は御注意を。更新は月2~3回程度ののんびりペースです。
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【2017/11/22 (水) 02:07】 |
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ご無沙汰しております
とまこ
 こんばんは!いつもお世話になっております、とまこです。ご無沙汰してしまいましたが、お元気でしょうか??

 今回は、先日の鬼族関連の興味深い考察に触発されまして……個人的にちょっと考えたことを少しだけ。いつものように根拠のない妄想ですが、もしご考察のお手伝いになれれば幸いです。

 さて唐突ですが、最近「天下丸」の名前について、ふと気になったことが一つ。
 「天帝」が元来「天上の最高神」を意味する言葉であるのに対し(Wikipediaより)、鬼族の少年の名には、これに相対するように「天下」=「地上」を意味する言葉が入っています。

 ここで、「『天からやってきた』青の一族に、鬼の一族が戦いを挑んだ」という歴史を改めて考えてみると……青の天外における鬼の一族は、日本において時の権力者(天皇=天孫)への服従を拒んだ「まつろわぬ民」がモデルになっているのかな、と思いました。(今更だったらすみません……)

 日本の歴史において、反政治的な地方豪族は、朝廷にとって大きな脅威であり、彼等は「鬼」と呼ばれ、書物においてはまるで人外のように描かれていました(土蜘蛛と呼ばれた人々がその例ですね)。青の天外における鬼の一族は、このような歴史を土台として、時の権力者(青の一族)へ抵抗した力を持った一族‐‐‐「天の帝」に相対する「地上の民」(ネイティブ)として生み出された存在なのかな……と、ふわっと思った次第です。


 ……それで、「だからなんだ」という話になるんですが、問題は「モウトク将軍が鬼の一族を討伐した理由」です。

 青の一族vs鬼の一族の戦いは、古代の大戦で一旦決着がついている(と、思われる)し、バーラトの仙人の談からして、青の一族としてはネイティブの存在を大切に思っているようなので、果物さんがおっしゃった通り、「天帝が命じて鬼一族を退治する」ということは、まずありえないなと私も思います。

 しかし、「青の一族」(=天帝)の思いがそうであったとしても、それを取り巻く「人間」の思いはどうであったのか……
 天帝に服従しない、力を持った一族の存在は、天帝だけでなく、「天帝に仕える人々」にとっても脅威であったのではないかと思います。万が一、再び鬼一族との間に戦争が起こり、そして鬼一族が勝利するようなことがあれば、自分たちは冷や飯食いどころか、命さえ危うくなることもあるわけですから。そこには、「自分たちとは異なる存在」に対する偏見や根拠のない恐れも、多分に含まれていたと思います。

 逆に、鬼一族を悪者に仕立て上げてこれを退治すれば、民には喜ばれ、天帝の支配下における自分の地位は確固たるものになる……

 そこで考えたのは、モウトク将軍は、鬼一族についてありもしない風聞(例えば人間に対して害意があるとか、実際に人を襲ってるとか……)をでっち上げ、むりやり作った大義名分の下で鬼一族を退治し、権力を手に入れたのではないか、ということです(つまり、権力があったから天帝も止められなかったのではなく、行為を正当化させ、天帝に認めさせた上で討伐したことによって、権力を手に入れた)。
 となると、あまりに卑劣な行為ですが、実際、あのキバ王をだまし討ちで討ちとっちゃうような人なので、このくらいの狡猾さは持ち合わせていても不思議じゃないよな、と……
 民の間にも、「自分たちとは異なる存在」への偏見や恐怖は存在した可能性はありますし(クンミン村の人々は例外として)、大勢の民がこれに乗じて、自らの不安や不満や恐怖を訴え、鬼族の討伐を願ったとしたら、天帝も為政者としてそれを無視できなくなったのではないかと思います。

 勿論、原作ではこのようなことは一切言われていませんし、私の妄想に過ぎないのですが、「こういう可能性もあるかな?」とふわっと(あくまで「ふわっ」と笑)思ったので、僭越ながら書かせて頂きました(^^;) 気をつけて書いたつもりなのですが、私自身勉強不足なので、分かりにくいところ、失礼な表現などがありましたら、すみません;;ご指摘いただけると助かります。

 では、乱文長文失礼いたしました。
 毎日暑く、またお忙しいことと思いますが、どうか体調にはお気をつけてお過ごしください(^^)

 








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茶菓菜屋より7月2日と3日の記事拍手ありがとうございました。

 『天外魔境 ZERO』のOP動画見てて、「永遠の火が王を選んだ」というところに、青の大地における天帝もふめつの炎が選んだりするんだろうかと思ってしまった果物ですこんにちは。現ジパングからは無理ありますが、太古のジパング「カラクリ技術によって栄えた火の一族」あたりの時代からなら、青の一族がジパングから来た……なんて裏設定も本当にアリかもしれない。――というただの戯言ですスミマセンごめんなさい気にしないでください。全く別のゲームなんだから無理矢理関連を見つけ出さなくてもいいのですが『天外』の横の繋がりに浪漫を感じてみたかっただけですスミマセンごめんなさい気にしないでください。

 DQ8リメイクの新動画にて、このへぼプレイヤーにとってはありがたい調整が色々してあるようで嬉しいです(DQ8自体そんな難易度高くないのですけど「面倒だな」と思ってたところが解消された感じ?)。即錬金もいいですが、シリアスや緊迫した場面で「チン☆」と鳴る空気読まない錬金窯も面白かったんですけどね。深刻だったSP格差問題が直されてククールよかったね! ……あとやっぱり、公式で取り上げられるくらいマルチェロの追加シナリオについては皆様気にしておられるようですね。察します。

 さて、『天外魔境 ZIRIA』、ゲーム(PSP移植版)クリアしました。それから小説とOVA『自来也 おぼろ変』も見ました。ここまで来るとXbox版もやってみたいんですけど。3DSあたりに移植されないですかね……。
 以下、ネタバレはしていないつもりですが昔の作品なので「ネタb」……くらいまでは口走っている可能性があります。気になる方はご注意ください。



 『天外魔境 ZIRIA』について……とはいっても有名作品なんで、今さらすぎるくらい今さらになってプレイしたこのにわか者が解説するまでもないと思いますが、『ジパング』という「海外から見た間違った日本」をイメージした架空の世界を舞台にした、和風ファンタジーRPGです。
 その昔、ジパングを滅ぼしかけた「マサカド」を封印してジパングを救った火の一族の勇者。その末裔である自来也たちと、マサカドを復活させてジパングを支配せんと目論む大門教との戦い。この目的自体は、どのメディアの『ZIRIA』でもおよそ共通してます。ストーリーやキャラクターの設定は異なる部分が多いですが。

 ゲーム、小説、OVAはそれぞれ全く違うストーリーで、物語として完全に独立しているので、どれから見ても大丈夫だと思います。
 最初『天外魔境』は実写映画やアニメで企画されていたらしく、最終的にRPGという形にするためゲーム向きにシナリオが変わったとのこと。OPでゲーム本編には全然ないシーンがあって「?」だったのですが、小説読んで「ああ、もしかしてこのシナリオで使う予定だったのか」と納得。小説が一番初期のシナリオに近いらしいです。


 そういう意味では小説やOVAの「綱手は大蛇丸が好き」というのも、多分、大元の彼女の設定にはあったのだと思いますが、ゲームでは一切そういう描写がないというのは、ゲーム化におけるこだわりでしょうか。何しろ彼女の大蛇丸に対する第一印象「男が女に変装してる。気持ち悪ーい!」ですからね(嫌悪や悪意はなく無邪気な感想が綱手らしいです…)。小説の「凄~い!! 凄~い、いい男!!」とえらい差ですがな。

 青の天外でかぐらの水月に対する想いを(何かはありそうなんだけど)明確化させなかったように、RPGでは主人公が絡まない(特に仲間内での)恋愛要素はプレイヤーに引かれるので、このあたりは気を使って描かなかったのかなと勝手に思いました。真相はわかりません。単にストーリーに必要ないからカットされた可能性もある。(汗)
 綱手かわいい。三すくみ本当にかわいい。互い互いにいい性格バランスだと思います。紅一点トリオって好きです。



 小説はもう、ジパングの歴史やキャラクターの設定の細かさに驚かされました。ある講談の速記本を読まれた某作家Y先生のリアクションをお借りしてパロディしますと、

 読んでみたら、ああた、これがもう無茶苦茶。歴史や史実などはもう、散りぢりにどこかへぶっ飛んでおり、時代的に出会うはずのない人間が会っているわ、後世に勃発した事件が起こっているわ、現代伝奇小説そっくりそのまんま。これまで、日本の歴史の中に出てきた、能やら歌舞伎やら、伝説やら神話やら時代劇やらアニメやらを全て一緒の鍋の中に突っ込んで、ぐわらぐわらとおもいきり煮込んだようなお噺でございます。

 そもそも架空の世界なので、「史実」も何もないんですけど。「ジパングってどんな感じ?」と問われれば「こんな↑感じ」だなぁと思ってしまいました。(元ネタはこちら
 ベースは南北朝時代が終わった1400年代前半ごろなんですが、このあたりの時代は正直疎くて、最初「ショーグン」が鎌倉公方のことで「タイクーン」が室町幕府将軍って気付かなかったです。お恥ずかしい……。人物名はわりとそのままなんですけどね。

 ゲームでは江戸に「ジパングを治めるショーグン」(小説でいうと滝川景綱にあたる?)がいたので、ショーグン(将軍)=征夷大将軍、タイクーン(大君)=朝廷(がモデル)かと思ってました。ゲームと小説ではジパング情勢も設定もかなり違うようではありますが。
 とはいえ、前述したようにその時代に存在しなかった人物(をモデルにしたキャラ)がいたり、後世に起きた騒動をモデルにした物語が展開したりと、そのあたりはさすが「無国籍チャンバラ時代劇」。



 それにしても「ジパング、奥深いな」と。表現力ないあまりとても月並みな感想で大変申し訳ないんですけども(汗)、本当に世界観の奥行きが凄い。またこれだけみっちり描かれていても、『ZIRIA』はあくまでジパングという一つの国の、坂東地方(ジパングの三分の一くらい?)だけで話が完結してしまうんですね……。世界は広い。
 ジパングにおけるヒの一族(ゲームでは火の一族)と将門の伝説と歴史背景、その設定力に激しい浪漫とある種の切なさも感じます。小説によると、

〈ジパングには古来より「ヒの国」の伝承が伝わっています。ヒの国はカラクリ技術によって栄え、神に近づき過ぎたため、神々によって滅ぼされたと言われます。わずかに残ったヒの一族は各地に細々と残りながら、鬼や妖怪を手なずけ、王国を築いていましたが、人間たちに追われ、やがて各地の王国もミカドによって滅ぼされてゆきました。〉

「はるか昔、この坂東にはガマ族、オロチ族、ナメクジ族、ツチグモ族、オニ族などがヒの一族を王といただき、平和な王国を築いていたといわれ申します。その王国は西から来た人間たちに滅ぼされたと。やがて先兵となって働いた武者たちも諸族の者と混血し、西の朝廷からは鬼、夷と呼ばれるようになり申した。その不満をまとめ、坂東の地を解放し、古のヒの一族の王国を復活されようとしたのが平将門様と伝えられておりまする。」


 とのこと。ゲームでは「火の一族」「根の一族」という表記ですが、小説では「ヒの一族」「ネの一族」という表記なんですよね。理由はわかりませんが、何かこだわりがあるような気がします。
 ゲームのあるダンジョンで古の神殿が出てくるのですが、その造りが明らかに日本っぽくないのは、「古にカラクリ技術によって栄えたヒの一族」という設定があったからなんですね。ゲームはあまり説明がないもので、いろいろ変な深読みをしてしまう。


 初期シナリオにその設定があったと考えるとゲームでマサカドを(※以下ネタバレのため反転)「再び封印」という形で終わらせたのも納得。RPGにおいて「封印されていた『魔王』が復活」は定番中の定番ストーリーですが、普通その『魔王』は封印なんてヤワなことせずに最終的に倒して消滅させますよね。でも、マサカドは「封印」させた。
 ゲームでは特に説明がなかったので勝手に深読みしてたのですが、マサカドは現実世界における平将門のような、怨霊信仰の対象でもあるのかなと。マサカドを悪として消滅させてしまうのではなく、畏敬の対象としてその地に鎮めて祀るという意味で「再び封印」という結末にしたのでしょうか。夢枕先生の『陰陽師』で「神とは突き詰めれば“力”なのだ」とありましたが、このあたり、日本をモデルにしたジパングらしいのかな
……と思ったりなんだりしてました。
 それで、小説を読んだら、やっぱり将門は坂東を守る地霊なんですね。恐るべき強大な“力”は善にも悪にもなるわけで、大門教はその力を利用しようとしている……というのが小説の設定。ゲームでは大門教の真の目的がやや「?」なところがあったので、初期シナリオでその設定があったのだとしたらなるほどそういうことか、と。(ゲームと小説ではそもそもの設定が違うのかもしれませんが……)


 小説読んで驚いたのが、ヒの一族や自来也たちガマやオロチやナメクジ族は、最初は将門と共に戦っていたということです。ゲームやった後だから余計に。
 はじめ将門に協力していた彼らがなぜ将門を裏切る(?)ことになったのかは小説内で書かれていますが、ゲームにおいてなぜムカデだらけのじゃせん洞にヘビ玉を、ナメクジ族の綱手が入れない塩山になめくじ玉を配置したのか、この設定の名残なんだなぁと。
 その中に「俵藤太秀郷」も関わってくるんですね。「大蛇に頼まれて大百足を退治した」という伝説をモチーフに、こういう設定が作られるとは。このあたりの時代も全然詳しくないのですが、『陰陽師 滝夜叉姫』だけでも読んでて良かった。ちょこっとだけニヤリとできます。

 自来也たちは「妖怪」の分類なんですね。だから個人同士で仲良くなっても「人間社会の中に自分の居場所はない」と感じたり、敵対関係になった土蜘蛛や妖狐にどこか親しみを抱いてしまう。
 小説の糸姫や鬼族の立場が切なかったです。あと仁木弾正の話もかなしい。なんだろう……この何とも言えないやるせなさは天外ならではですか。(汗)


 ジパングにおける仏教の歴史が興味深かったです。

 仏教はジパングを統一した王の統治のための魔術(マジック)であった。
 寺は地霊を封じるための大地に描かれた魔方陣である。
 王は神統(しんとう)をすべて自分の家系に集中させる神話の書を完成させたが、それでも安心できず、全国に寺のチェーン網を敷き、都に中心仏たる巨大な仏像を建設する一大魔術を施して、それまでジパングに跳梁していた原住の神や妖怪や鬼たちを鎮めた。
 以来、それら、人以外の者たちは夜の闇か、網にもれた山深き所や、寺の支配の及ばぬ北の地に追われ、隠され、押しやられたのだった。


 あくまで架空の世界の話ですが、なんだか『火の鳥 太陽編』を思い出しました。あと布袋丸が言っていた日本(ジパングですが)に、キリストの墓(といわれているもの)があるというのも初めて知りました。
 そういえばゲームではジパングを守る様々な神獣が出て来て物語と深く関わりますが、小説では登場しませんでしたね。このストーリー展開だと出す暇がなかったらしいですが、設定を鑑みるに神獣(古の神)は力を失っていた……とかだったらどうしよう。
 そう考えると、ゲームのジパングは鬼や妖怪、古の地神と人間が共存している世界なんですね。単純に、一人称で進むゲームでは火の勇者vs大門教というプレイヤーにわかりやすい構図にしたかったからなのかもしれない。


 そんなこんなで、広井先生やあだち先生の中には「ジパング年表」みたいなものがきっちりあるんだろうな……と思ったら羨ましいというか、原作者の方に羨ましいというのも変なのですが、何が言いたいのかというと青の大地の年表くだs(殴)

 あと、小説ではあくまでP・H・チャダというスミソニアン博物館の日本文化研究員であるケンタッキー生まれのオランダ系アメリカ人が書いた『FAR EAST OF EDEN(エデンの遥か東)』が原作である……という遊び心が面白いです。
 注釈とかあとがきとか『FAR EAST OF EDEN』の写真とか見てたら本当にそういうのがありそう……というか、ちゃんと調べるまで本気で原書があるものだと真に受けていました。あだち先生いわく「原書は悪文で、そんなに面白くない」とのこと。(笑)



 ゲームの自来也は所謂ドラクエ型主人公なので、無口で何考えてるかわからない……というか=プレイヤーなので当たり前ですが。綱手に「ミスとさ港よりあたしの方が可愛いよね?」と言われて無言で返す自来也さん。(笑)
 そのせいかこの時は三すくみの中で大蛇丸がパーティーのまとめ役で保護者な印象を持っていました。小説やOVA見たら、綱手の奔放さと大蛇丸のスタンドプレーっぷりに、完全に自来也がまとめ役バランス調整役でしたね。さすが主人公。(笑)
 OVAの自来也は自由奔放、粋で鯔背な義賊。「泥棒とお姫様」というカリオストロ的な浪漫を感じました。泥棒というか、自来也の場合は忍者的な、クラスとしての「盗賊」なのですが。

 どの自来也も好い漢なんですが、個人的に小説の自来也が一番好きです。
 「自然児」というイメージ。垢抜けてなくて、風のような水のような流れるままの純真な感じ。自然界の気を感じ取って操る「術使い」というところが強調されている気がします。
 組織や人間関係に縛られず、後先はあまり考えないのですが、猪突猛進の馬鹿というわけではなく、野生のカンで動くといいますか。成熟しているわけではありませんが、精神的なところが研ぎ澄まされていて、直感が鋭く熱血だけど判断は冷静。……というのが私の個人的な印象です。結構夢見てる気がします(苦笑)。自来也かっこいいよ自来也。
 邪気がなく、面倒見がよいので人から好かれるし、綱手との兄妹みたいなやりとりとかキュンキュン来たんですけど、同時に無意識下での「孤独」も抱えている気がします。「俺のやることは、もう、ここにない気がする。」が切ない。その上、小説は三すくみの抗いようのない関係の設定も相まって余計に。感情的には仲良しなのに。



 ゲームの方の話。
 移植とはいえ、元は自分が生まれるより前のゲームをするって不思議な感慨?がありますね。
 後世の所謂「べんりボタン」機能に慣れ過ぎているせいか、大昔のゲームゆえのコマンドの微妙な不便さに慣れるまでやや時間がかかりました。(例えば、人に話しかける時に「はなす」コマンドをしなければならなかったり、キャンセルボタン押すと「一つ戻る」ではなく全部最初から選択肢直しになったり)

 やっぱりと言いますか、微妙にグロいというかエグいというか怖い表現がちょこちょこ顔出しますね。そしてそれにちょっぴり期待していた自分もいないことはない。(ボソッ)

 人間から抜き取られた魂がふよふよしてて「苦しい…」と呻いていたり、
 倒すと頭がブシャッとなる某ボスがいたり、
 狐憑きになって「コンコン…うふふ」とか言いながらウロウロウロウロしてる人がいたり、
 倒すと目玉がドロッと崩れ落ちるモンスターがいたり、
 超巨大ムカデの上を歩かされたり、
 大門教派と反大門教派で二分されてしまった村があったり、
 美女の口から蛇が出てきたり、
 倒すと首チョンパされる某ボスがいたり、
 華やかで賑やかな町が一夜にして地獄絵図に変わったり、
 生きたまま壁に埋められた人間ロードがあったり、→

 青の天外の髑髏の絨毯並みの衝撃。むしろこちらのがエグい気がする。生身の人間の目の数(視線)が強烈。これ下にいくほど炭化?みたいに黒くなっているのが怖いんですけど。肉体が完全に壁と同化してしまったということですか。

 映像的な表現が限られている分、なにかこう、演出面とか滲み出る雰囲気が余計にエグい。くすぐらなくてもいいプレイヤーの妄想補完力をくすぐります。
 小説はさらに遠慮なくエグいというか、グロいというか、色々な意味で「大人向け」な表現もたくさんありましたが(幻王丸お前そういうキャラだったのかと驚いたり)、特に水王丸が大変なことに……。多分、今だったら、その、「そういうの」が好きな人にはたまらないだろうなと思っt(殴)


 基本的には自らの勘で進めていきましたが、さすがに塩山と江戸城の鬼畜っぷりに発狂して他人様のプレイ記を参考にさせていただきましたありがとうございました。プレイヤーの先人者が多いのはこういう時に助かります、と噛み締める。
 小説でも塩山はその鬼畜っぷりを発揮していましたが、超優秀なマッパーさんがついていたので羨ましい。このあたりのノリや大ムカデvs三すくみの戦闘描写がすごくRPGっぽくて、深沢先生の『フォーチュン・クエスト』みたいなワクワク感がたまらなかったです。同じ角川スニーカー文庫とあって、最終巻の最後にFQ1巻と2巻の広告があって天外魔境の歴史を感じました。25年以上も続いてるFQよりもさらに古いのか……。
 くるり町の地下工場は入った途端「あ、これはあかん」と思っていよいよ自分でマッピングしたという。近年のCRPGではあまり感じないことですが、RPGにおけるマッパーって重要な存在なんですね……。

 ラストダンジョンでこれまで倒したボスの“霊”が出現するのは、もしかして天外シリーズの定番なんでしょうか。
 某場所のペルシャ絨毯みたいなカラフルな曼荼羅模様の床はとっても綺麗ですが原色がとっても目に痛かったです……。見えない壁の仕掛けも相まって方向感覚を見失うという地味に辛いダンジョン。
 
 
 
 ここまで読んでくださって、ありがとうございました。
 いつものことですがダラダラと長くなってしまいました。あと自分の日本語力のなさが苦しい。なんだかこう、同じような言い回しを繰り返して肝心なところが伝わらない文面ですみませんでした。青の天外がずっと好きで、いつかはやってみたいと思っていた『天外魔境 ZIRIA』という作品に触れてみた感想が、私の中ではこんな具合になりました。
 そのうち『天外魔境2 MANJIMARU』の方ものんびりプレイしてみたいと思います。ジパングの国生みにまつわる話とか、イザナギとイザナミを彷彿とさせるような火の一族と根の一族の関係とか、気になります。
 DQ8リメイク発売までにはクリアできるといいですが。2はストーリーが長いらしく、私の超亀足なゲーム進行速度では厳しいものが。サクサク進めて20時間(超最短ルートなら8時間)程度でクリアできる『青の天外』を、初回60時間以上かけた私を侮ってはいけません。(汗)

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【2015/07/12 (日) 16:10】 | その他ゲーム プレイ記・語り
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ご無沙汰しております
とまこ
 こんばんは!いつもお世話になっております、とまこです。ご無沙汰してしまいましたが、お元気でしょうか??

 今回は、先日の鬼族関連の興味深い考察に触発されまして……個人的にちょっと考えたことを少しだけ。いつものように根拠のない妄想ですが、もしご考察のお手伝いになれれば幸いです。

 さて唐突ですが、最近「天下丸」の名前について、ふと気になったことが一つ。
 「天帝」が元来「天上の最高神」を意味する言葉であるのに対し(Wikipediaより)、鬼族の少年の名には、これに相対するように「天下」=「地上」を意味する言葉が入っています。

 ここで、「『天からやってきた』青の一族に、鬼の一族が戦いを挑んだ」という歴史を改めて考えてみると……青の天外における鬼の一族は、日本において時の権力者(天皇=天孫)への服従を拒んだ「まつろわぬ民」がモデルになっているのかな、と思いました。(今更だったらすみません……)

 日本の歴史において、反政治的な地方豪族は、朝廷にとって大きな脅威であり、彼等は「鬼」と呼ばれ、書物においてはまるで人外のように描かれていました(土蜘蛛と呼ばれた人々がその例ですね)。青の天外における鬼の一族は、このような歴史を土台として、時の権力者(青の一族)へ抵抗した力を持った一族‐‐‐「天の帝」に相対する「地上の民」(ネイティブ)として生み出された存在なのかな……と、ふわっと思った次第です。


 ……それで、「だからなんだ」という話になるんですが、問題は「モウトク将軍が鬼の一族を討伐した理由」です。

 青の一族vs鬼の一族の戦いは、古代の大戦で一旦決着がついている(と、思われる)し、バーラトの仙人の談からして、青の一族としてはネイティブの存在を大切に思っているようなので、果物さんがおっしゃった通り、「天帝が命じて鬼一族を退治する」ということは、まずありえないなと私も思います。

 しかし、「青の一族」(=天帝)の思いがそうであったとしても、それを取り巻く「人間」の思いはどうであったのか……
 天帝に服従しない、力を持った一族の存在は、天帝だけでなく、「天帝に仕える人々」にとっても脅威であったのではないかと思います。万が一、再び鬼一族との間に戦争が起こり、そして鬼一族が勝利するようなことがあれば、自分たちは冷や飯食いどころか、命さえ危うくなることもあるわけですから。そこには、「自分たちとは異なる存在」に対する偏見や根拠のない恐れも、多分に含まれていたと思います。

 逆に、鬼一族を悪者に仕立て上げてこれを退治すれば、民には喜ばれ、天帝の支配下における自分の地位は確固たるものになる……

 そこで考えたのは、モウトク将軍は、鬼一族についてありもしない風聞(例えば人間に対して害意があるとか、実際に人を襲ってるとか……)をでっち上げ、むりやり作った大義名分の下で鬼一族を退治し、権力を手に入れたのではないか、ということです(つまり、権力があったから天帝も止められなかったのではなく、行為を正当化させ、天帝に認めさせた上で討伐したことによって、権力を手に入れた)。
 となると、あまりに卑劣な行為ですが、実際、あのキバ王をだまし討ちで討ちとっちゃうような人なので、このくらいの狡猾さは持ち合わせていても不思議じゃないよな、と……
 民の間にも、「自分たちとは異なる存在」への偏見や恐怖は存在した可能性はありますし(クンミン村の人々は例外として)、大勢の民がこれに乗じて、自らの不安や不満や恐怖を訴え、鬼族の討伐を願ったとしたら、天帝も為政者としてそれを無視できなくなったのではないかと思います。

 勿論、原作ではこのようなことは一切言われていませんし、私の妄想に過ぎないのですが、「こういう可能性もあるかな?」とふわっと(あくまで「ふわっ」と笑)思ったので、僭越ながら書かせて頂きました(^^;) 気をつけて書いたつもりなのですが、私自身勉強不足なので、分かりにくいところ、失礼な表現などがありましたら、すみません;;ご指摘いただけると助かります。

 では、乱文長文失礼いたしました。
 毎日暑く、またお忙しいことと思いますが、どうか体調にはお気をつけてお過ごしください(^^)

 








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ご無沙汰しております
 こんばんは!いつもお世話になっております、とまこです。ご無沙汰してしまいましたが、お元気でしょうか??

 今回は、先日の鬼族関連の興味深い考察に触発されまして……個人的にちょっと考えたことを少しだけ。いつものように根拠のない妄想ですが、もしご考察のお手伝いになれれば幸いです。

 さて唐突ですが、最近「天下丸」の名前について、ふと気になったことが一つ。
 「天帝」が元来「天上の最高神」を意味する言葉であるのに対し(Wikipediaより)、鬼族の少年の名には、これに相対するように「天下」=「地上」を意味する言葉が入っています。

 ここで、「『天からやってきた』青の一族に、鬼の一族が戦いを挑んだ」という歴史を改めて考えてみると……青の天外における鬼の一族は、日本において時の権力者(天皇=天孫)への服従を拒んだ「まつろわぬ民」がモデルになっているのかな、と思いました。(今更だったらすみません……)

 日本の歴史において、反政治的な地方豪族は、朝廷にとって大きな脅威であり、彼等は「鬼」と呼ばれ、書物においてはまるで人外のように描かれていました(土蜘蛛と呼ばれた人々がその例ですね)。青の天外における鬼の一族は、このような歴史を土台として、時の権力者(青の一族)へ抵抗した力を持った一族‐‐‐「天の帝」に相対する「地上の民」(ネイティブ)として生み出された存在なのかな……と、ふわっと思った次第です。


 ……それで、「だからなんだ」という話になるんですが、問題は「モウトク将軍が鬼の一族を討伐した理由」です。

 青の一族vs鬼の一族の戦いは、古代の大戦で一旦決着がついている(と、思われる)し、バーラトの仙人の談からして、青の一族としてはネイティブの存在を大切に思っているようなので、果物さんがおっしゃった通り、「天帝が命じて鬼一族を退治する」ということは、まずありえないなと私も思います。

 しかし、「青の一族」(=天帝)の思いがそうであったとしても、それを取り巻く「人間」の思いはどうであったのか……
 天帝に服従しない、力を持った一族の存在は、天帝だけでなく、「天帝に仕える人々」にとっても脅威であったのではないかと思います。万が一、再び鬼一族との間に戦争が起こり、そして鬼一族が勝利するようなことがあれば、自分たちは冷や飯食いどころか、命さえ危うくなることもあるわけですから。そこには、「自分たちとは異なる存在」に対する偏見や根拠のない恐れも、多分に含まれていたと思います。

 逆に、鬼一族を悪者に仕立て上げてこれを退治すれば、民には喜ばれ、天帝の支配下における自分の地位は確固たるものになる……

 そこで考えたのは、モウトク将軍は、鬼一族についてありもしない風聞(例えば人間に対して害意があるとか、実際に人を襲ってるとか……)をでっち上げ、むりやり作った大義名分の下で鬼一族を退治し、権力を手に入れたのではないか、ということです(つまり、権力があったから天帝も止められなかったのではなく、行為を正当化させ、天帝に認めさせた上で討伐したことによって、権力を手に入れた)。
 となると、あまりに卑劣な行為ですが、実際、あのキバ王をだまし討ちで討ちとっちゃうような人なので、このくらいの狡猾さは持ち合わせていても不思議じゃないよな、と……
 民の間にも、「自分たちとは異なる存在」への偏見や恐怖は存在した可能性はありますし(クンミン村の人々は例外として)、大勢の民がこれに乗じて、自らの不安や不満や恐怖を訴え、鬼族の討伐を願ったとしたら、天帝も為政者としてそれを無視できなくなったのではないかと思います。

 勿論、原作ではこのようなことは一切言われていませんし、私の妄想に過ぎないのですが、「こういう可能性もあるかな?」とふわっと(あくまで「ふわっ」と笑)思ったので、僭越ながら書かせて頂きました(^^;) 気をつけて書いたつもりなのですが、私自身勉強不足なので、分かりにくいところ、失礼な表現などがありましたら、すみません;;ご指摘いただけると助かります。

 では、乱文長文失礼いたしました。
 毎日暑く、またお忙しいことと思いますが、どうか体調にはお気をつけてお過ごしください(^^)

 






2015/07/20(月) 23:09 |   | とまこ #4fbce7485f[編集]
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