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雑多な語り場。所謂「オタク」「同人」「二次創作」と呼ばれる要素全開かつ超ミーハーなので、そういったものが苦手な方は御注意を。更新は月2~3回程度ののんびりペースです。
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珍しくあまり日を空けずに投稿した果物ですこんにちは。これも11周年を迎えたテンションか。単なる気まぐれでそれとこれとは違うと思いますがおめでとうございます当日何もしなくてすみませんこれからもこんな調子で青の大地をストーカーしていきます。(なんという酷い冒頭挨拶

 さて。
 某S様のサイトにてわかな姫とゆめどのについての考察拝見いたしまして、「天帝の剣をわかな姫の中に入れるための作業はゆめどので行われた」説を言ってしまった本人としましては言い出しっぺの法則……というか単純に私も考えてみたくなっただけなので(苦笑)、個人的解釈を満載にしてちょっと整理してみます。




【天帝の剣と「ゆめどの」の関係】

 まず、「天帝の剣をわかな姫の中に入れるための作業はゆめどので行われた」というのはゲーム上では明確に表記されていません。イカルガの和尚さん台詞から、想像してみたことです。

「「ゆめどの」は 天帝が わかな姫と こられた さいごのばしょ
「ゆめどの」に どんなひみつが かくされていると いうのじゃ」

「ねがいをかけた 木のぞうのなかに 剣をいれることを 「けんのん」という
まさか わかな姫のなかに 「天帝の剣」が かくされていたとは・・・」


 特に「「ゆめどの」は 天帝が わかな姫と こられた さいごのばしょ」という部分から。
 序盤で、わかな姫が行方不明になったことについて「天帝とヤマタイの国へ でかけられてから わかな姫さまが きえてしまったの!」と言われています。タイミングを考えるとこの「天帝とわかな姫がヤマタイの国へ出かけた」時に、「ゆめどの」にも訪れたのではと。
 なぜ、「ゆめどの」を訪れたのか。私の中では以下のような解釈になりました。

 天帝がわかな姫を伴ってヤマタイの国へ → 「ゆめどの」でわかな姫の中に天帝の剣を隠す → 平安宮のビョウブにわかな姫を封印 → 世間では「わかな姫、ヤマタイの国で謎の失踪」となるが、天帝はわかな姫の捜索を命じず(水月、ショックで自宅に引きこもる)

 ……という。上記の台詞だけでは細かい状況説明まではできませんが、おおよその流れはこんな感じかな、と思った次第でございます。


 「ゆめどの」を訪れたことは自体は(少なくともイカルガ和尚には)知られているようですが、さすがに平安宮での作業のことは目撃者がいない模様。当然と言えば当然ですが、相当コッソリ行ったんだろうな……と。
 わかな姫がビョウブに封印されていた事実を知っているのは、他にハンゾウ、ジュウベエといった天帝のニンジャたち(どれだけのニンジャが知っていたかは不明)と、「サクラのとうろう」を預かっていたコノハナ神社の神主ですが。元・宮仕えのおじいさんによると「おふたり(天帝とわかな姫)は よく ヤマトへ りょこうなされた わしは 天帝のニンジャどもに ごえいを たのんだものじゃ」とのことなので、この時にもニンジャがついていたのでしょうか(護衛と、他者の目に触れないようにする補助も兼ねて)。その流れで、鍵となる「サクラのとうろう」を預かった?

 ちなみにコクヨウ仮面が平安宮を占拠していた件についてですが、一般的に知られているわかな姫の行方不明情報を元にすると「ヤマタイの国のどこかに封印されている」というところまでは充分予測できる範囲。
 で、その中で最も臭うのは平安宮ですから、とりあえず占拠はしたものの具体的な封印場所はわからなかったので、ヤマトの町だけでなくアスカやらイカルガにも(わかな姫の捜索&情報収集のため)あんこく兵がウロついていた、と。
 マ法院がおぼろ式部にニンジャの里を襲わせたのは、彼らが「天帝から預かった宝(サクラのとうろう)」がわかな姫の封印を解く鍵である(もしくは何か関係がある)、というところまで突き止めていたからでしょうか。大都の封印を巡る攻防……どちらも必死です。

 ……どうでもいいですが、説明書にてコクヨウ仮面が「わかな姫をつけねらう仮面の貴公子」て、それただのロリコンストーk……ゲフンゴフン(汗)。マ法院からわかな姫の捜索を命じられたがゆえに、一部のプレイヤーから誤解されてしまった不憫なコクヨウさん。彼はロリコンではありませんシスコンです。(←その言い方もどうかと)


 いつも台詞の無駄な深読みが過ぎる私ですが、このことに関してはそんな「深読み」でもないかな、とは思っています。このタイミング(コクヨウ仮面によるわかな姫破壊イベント前後)でこの台詞を言わせたということは、つまり「“けんのん”をゆめどので行った」ことを自然にプレイヤーに伝える意図があったからではと。
 直接的な表現がされていないのは、現段階でこの事実を知っているのは最早わかな姫しかいないから、なのでしょう。イカルガの和尚も、水月も知らなかった秘匿事項なので。
 そしてその後もこの事実関係について特に言及されないのは、状況的に「わかな姫が破壊されたこと」と「天帝の剣が奪われた」ことの方が急務なので、いちいち過去を掘り起こしているバヤイではないと。ストーリー的には「けんのん」の状況については特に重要でもないですし……そのあたりを敢えて触れていない(しかし、舐めるように調べればある程度予測できたりできなかったりする)のは、相も変わらずニクイ演出です……。




【「ゆめどの」の建設時期】

 天帝が「ゆめどの」でわかな姫に“けんのん”を行った、として。
 何故「ゆめどの」でないとならなかったのか。そして、コクヨウ仮面がわかな姫を破壊した(天帝の剣を取り出した)場所も何故、「ゆめどの」でなければならなかったのか。
 特にコクヨウ仮面の行動に関しては大都の天帝宮ででも、それこそコハクが封印されているスイショウの森でも良かったはずです。「ゆめどの」を占拠したがために周囲には目撃されまくってるし、主人公らが嗅ぎ付けるのも時間の問題。(だから「ちんもくのヤミ」で時間稼ぎしたのでしょうけど)
 両者とも「ゆめどの」でなけなければならなかった理由があったからこそ、そうしたわけで。

 その理由ですが……ものの見事に「不明」です。何ひとつ公式情報ありません。いつものことですけどね慣れてるよ!(泣)
 というわけで「ゆめどの」の役割について、毎度の如く個人的な憶測と捏造と妄想100%で考えてみます。毎度の如く公式様とは一切関係ございませんので、ご安心ください。


 根本的に「ゆめどの」の建築理由が、何か信仰的な理由があるとしたら(むしろ確実にあるんでしょうけども)私の専門外になるので敢えて深くは触れず(Q.「オイ待てそもそもお前に「専門」なんてものがあったか?」 → A.「すみませんありませんただの知識量の問題ですそのあたりのことは専門家の方にお任せしますごめんなさい(土下座)」)、物理的?というか現実的な使用目的の方面から考えてみます。

 「ゆめどの」の何が気になるって、天帝の像が気になるのですけども。わかな姫破壊の時に浮き上がって光り、くるくる回っている。そしてわかな姫破壊後(天帝の剣出現後)消える……。この像が何か凄く重要な意味を持ってそうなのに、誰も何も触れないものだから大変に気持ち悪いのですけども。(汗)
 この天帝の像がいつごろから安置されたか。明確な時期は不明ですが、

「天帝が ヤマトの平安宮から 大都の天帝宮へ うつられるまでは
このイカルガが 天帝のたましいを くようする ところだったのじゃ
そのなごりを のこすものが 「ゆめどの」といわれる お堂じゃ」


 ということから、ヤマト王都時代には少なくとも「ゆめどの」自体はあった模様です。一方で、

「このイカルガにある 「ゆめどの」は 天帝がつくられた お堂なのじゃ
このイカルガ寺で かんりしているが なんのための お堂かは なぞじゃ!


 と、イカルガの和尚さんにすら伝えられていないとか……どんな秘匿事項があるというのか。の、わりには特に施錠されているわけでもなく一般人も易々と入れるのが余計にわからん(汗)。逆に、怪しまれないためにわざとオープンにしているとか。(強引)
 そして上記の台詞だけでは天帝の像の安置時期は不明なままですが。イカルガという寺町自体がヤマト建設と同時(戦争後)に造られたとしたら、それから大都遷都までには「ゆめどの」及び天帝の像も安置されたということでしょうか。
 すると天帝の像のモデルは当代天帝ではない。むしろ特定の個人(歴代天帝の誰か)ではなく、『天帝』という存在そのものを象徴とした像なのでしょうか。そうすると余計に時期があやふやになるのですけども。


 そこで、いつもの超強引な仮説を一つ挙げてみますと。
 天帝の像って見た感じ木像じゃないですか。「ねがいをかけた 木のぞうのなかに 剣をいれることを 「けんのん」という」…………つまり、その、「天帝の剣」の元々の隠し場所だったりして。

 「天帝の剣」の役割は「大都の封印の鍵」かつ、「ひかりの剣」の鞘となります。天帝宮奥の「ふういんの間」自体はダークオーブの封印が目的なので、大都建設以前からあった可能性があります。すると、「天帝の剣」はヤマト王都時代には既に存在しており、歴代天帝に受け継がれていったと。

 それをいつごろ天帝の像に“けんのん”したかと言われれば何とも言えませんが……。
 例えば、大都遷都のタイミング。預金通帳と印鑑の関係じゃありませんが、「鍵は大都(ふういんの間)から遠い所に隠しておいた方が良くね?」ということで。言うなれば、この時に天帝の像が作られた可能性もあります。
 だったら余計にそんな大事な場所オープンにしとくの不自然だろとツッコミが。だから……その、それは、ホラ、怪しまれないためにわざと(略) ……無理あるなぁ。でもここまで言ってしまったのでとりあえず最後まで続けます。(汗)




【天帝の像の役割】

 マ法院が「天帝の剣」を狙っていることを知った当代天帝。自分の死後、秘匿にしているとは言えあんなオープンな場所に「天帝の剣」を隠していては、見つかるのも時間の問題。剣は後継者(青の勇者)に渡す必要があるし、水月への遺言もある。

 そこで、わかな姫に遺言と共に「天帝の剣」を預け、彼女ごと平安宮のビョウブの中へ封印することに。あのビョウブ自体、そのために描かせたのでしょうね。「サクラのとうろう」が描いてあるし、あの和歌(後継者に向けたヒント)も天帝が詠んだものだし。
 そうして「ゆめどの」にわかな姫を連れて行き、天帝の像に隠されていた「天帝の剣」を彼女の中に移す作業を行ったと。それが「「ゆめどの」は 天帝が わかな姫と こられた さいごのばしょ」の真相。(※あくまで仮説です)


 S様の言われたように、わかな姫の中に「天帝の剣」が“物理的に”入っていたとは、ちょっと私も考えにくいです。コクヨウ仮面(戦闘画面)と比較してみても、天帝の剣はかなり、デカい。それがあの小柄なわかな姫の、胴体部分だけに収まりきるとは思えない。
 柄くらいは物質だと思いますが、刀身部分はエネルギー変換されていたのだと。……もうあれはライトセイバー的なもの、ということで良くないですか。「ひかりの剣」に至っては文字通りのそれだし。(笑)
 エネルギー変換してあったからこそ、彼女の木の身体そのものが光っていたと(「スイショウの杖」のエネルギーと「天帝の剣」のエネルギーって同じものなのでしょうか。だから呼応した)。そして、物質化されないからこそ、彼女の身体を粉々にしなければ取り出すことができなかった、ということでしょうか……。


 続いて、コクヨウ仮面がわかな姫破壊を「ゆめどの」で行った件についてですが。これにも天帝の像が関わってくるのでは、と。
 そもそも、コクヨウ仮面によるわかな姫破壊という事態は想定外のことで、本来はわかな姫を破壊せずに「天帝の剣」を取り出す方法があったはずです。……と、信じたい。わかな姫の中に「天帝の剣」を隠すこと自体が緊急措置だった(可能性が高い)とは言え、いくら何でも最初から破壊を前提にはしてないでしょう。と、信じたい。水月が泣くわ。(汗)

 そこで天帝の像。「天帝の像は「天帝の剣」の元々の隠し場所だった」という仮説を前提としての話ですが、わかな姫の中にエネルギー変換してあった刀身を、(術か何かで)一旦天帝の像に移して物質化(「天帝の剣」の形に)し、天帝の像から取り出す、みたいな方法があったとか。
 ……そんな回りくどい設定作らなくても、わかな姫の中に隠されていることさえ知っていれば、水月が術か何かで取り出すことができた……と考えた方がシンプルかつ自然だと自分でも思います。(汗)


 要は天帝の像に無理やり理由をつけたいだけ。(おい)
 コクヨウ仮面がわざわざ「ゆめどの」にわかな姫を連れて来たのは、天帝の像が何かしら「天帝の剣」を取り出すための鍵になる、というところまで突き止めていたのではないかと。例えば、エネルギー変換してあった刀身を物質化するために必要な術が施されていたとか。(だから「天帝の剣」が取り出された後に役目を終えて消えた)
 破壊の直前に「わかな姫の なぞは とけた」と言ってますが、その「なぞ」って何だったんですかコクヨウ先生。




【「ゆめどの」の建設理由】

 もし「ゆめどの」建設と天帝の像の安置に時差があったとすると、元々の「ゆめどの」の建設理由って何でしょう……というところまでいくと私の専門g(略)なので深くは追及できないのですが、一応、自分の持っている知識の範囲内で少し。

 「イカルガ」のモデルとなったのが奈良の法隆寺(斑鳩寺)で、「ゆめどの」も東院伽藍の夢殿だと思われますが。
 そもそも法隆寺の建築理由については現在でもかなりの論争があるらしいですね。元々私は歴史の教科書で習った程度の知識しかなかったのですが、最近読み始めた中村真理子先生の『天智と天武 新説・日本書紀』の巻末で初めて「聖徳太子の怨霊鎮魂説」の存在を知りまして。
 その説の根源となった梅原猛先生の『隠された十字架』(有名作品ですが私はつい最近知ったばかりなので未読です。すみません)によると、中国には八角形の堂を墓とする先例があり、八角堂の夢殿は聖徳太子の墓として造られたのではないか、と書かれているらしいです。


 イカルガは「天帝が ヤマトの平安宮から 大都の天帝宮へ うつられるまでは このイカルガが 天帝のたましいを くようする ところだったのじゃ」ということですから、もしかして「ゆめどの」はかつての天帝の墓――現在の大都における「天帝の塔」のような役割があったのかもしれません。という説。
 ……とすると、そんな重要な役割があったのに今の和尚さんが「なんのための お堂かは なぞじゃ!」と言い切っちゃってるのは不自然ですか。うーん。(汗)
 それとも、前述したように最初から「天帝の剣の隠し場所」として建てられたのだとしたら、その建設理由が秘匿とされているのにも納得? 謎は謎のままにしておくのがいいということですか。気になりますがな。


 「ゆめどの」のモデルが夢殿だとすると、天帝の像のモデルは秘仏として有名な救世観音……だったりするんですかね。またこの観音様にも様々な論争が飛び交っていまして……それをそのまま持って来ると大変なことになりそうなので、それとこれとは無関係……ということで。知識の乏しい私の口からはこれ以上は言えません。せめて『隠された十字架』だけでも読んでから語れよと。(滝汗)
 法隆寺の真相についても、私自身は「どの説が正しいか」(かつ、青の天外の製作者の方がどういう説をモチーフにして設定したのかも)等決めつけるつもりはありませんので、あしからず。そもそもつい最近になって知ったばかりで、ただただ驚いている←今ココ。状態です……。


 そんな感じで「ゆめどの」内部を観察していると……何かこう、どっかで見たことあるような既視感が。
 ――そうか、カナイのアレだ。オリエンタルブルー作製の儀式に使う祭壇(?)だ。……おや「今さら気づいたのかよ」という天の声が。(汗)
 八角形の区画に八つの台座(?)と、中央には六角形の台座(?)が大小重ねられている。上部の衝立みたいなモノの形や、四方の文様も、カナイにあるそれと同じですし。なんだこれはどういう意味なんだ。

 これって、カナイのように何かの儀式をするために造られたのでしょうか。そう考えると、カナイだと「ひかりのうつわ」を置く場所に、天帝の像がドンと置かれてるのが気になりますがな。何をするつもりだったのか。いや、もう「何か」をしてあるのか。それこそ天帝の像に“けんのん”するため? いくら何でもそんな何人もの人の力が必要な大掛かりな作業だったとは思えないですけども(当代天帝が一人でわかな姫に“けんのん”したことを考えると)。
 謎が謎を呼びますね。誰か助けてください……。orz




【ところで「けんのん」って何ぞや?】

「ねがいをかけた 木のぞうのなかに 剣をいれることを 「けんのん」という」

 それにしても、某S様が言われてたように、“けんのん”ってどこから来た言葉なんでしょう。漢字すら不明。敢えてそれっぽく当てるなら「剣納」?(※そんな熟語はありません)
 どう足掻いても「剣呑(険呑)」が出てきて、その語源とされる「剣難」は「刃物で殺傷される災難」だから違うか。そのさらに語源があったりするのでしょうか。

 今は大昔も超昔、小学生ごろだったと思いますが、テレビで「(何かの)像をエックス線で撮ったら剣が隠されていた!」みたいな話を観たことがあるような記憶が薄っすらあったんです。だから上記の台詞を見た時も「ああ、そのことね」と納得してしまったんですけど。
 改めて調べてみたら、“けんのん”どころか「像の中に剣を入れる」という何らかの実例すら出て来ないとはどういうことなんですかと。……私が観たのは幻だったのでしょうか。もう記憶が曖昧過ぎてどうにもこうにも。誰か助けてください……。orz

 一応、似たような内容では以下のものが。
 「中国では仏像に五臓六腑の模型(金属)を入れて物体である仏像に生を与える風習があった」とのこと。(http://ameblo.jp/rallygrass/entry-11445973981.htmlhttp://www.n-syoufukuji.com/06.html
 東京国立博物館にある運慶作とされる大日如来像には五輪塔、舎利、心月輪(水晶球)というものが入れられているそうですね。(http://www.bell.jp/pancho/k_diary-2/2008_06_10.htm ※BGM流れます)
 ……いや、“けんのん”で言われる「木の像」って仏像とは限らないかもしれませんが。作られた像の中に「願いを込めて何かを入れる」ということ自体は、東洋ではポピュラーな風習なのでしょうか。
 
追記(11/03):それこそ法隆寺の聖徳太子像には救世観音像が納入されているらしいですね。……だからといってこの謎が解けるわけではないですけど。




【わかな姫と天帝の剣】

 わかな姫が何のために作られたかのも謎なんですよね。
 一応、自分の中では「最初から天帝の剣の隠し場所にするつもりだった」とは思っていないのですけど(あれはあくまで緊急措置だった、として)。……というか、それだと何だかわかな姫が可哀そうで……という個人的感情が。水月が泣くわ。(汗)

 あと、わかな姫が自分の中に「天帝の剣」が隠されているのをずっと黙っていたのは、天帝の命ではなく彼女自身の判断だったのかな、と。
 天帝としては、少なくとも主人公には「天帝の剣」が渡らなければならないですし、わかな姫と同時に「天帝の剣」も託したつもりだったのではと。
 わかな姫が計画全体のどこまでを知っていたかは定かではありませんが、もし「ひかりの剣」や「ダークオーブ破壊」のことまで知らなかったとしたら、自身が黙ってさえいれば誰も知らないまま安全だと思ったから、知らないふりを続けていたのでしょうか。そこからの「ごめんなさい・・・ わたし まもれなかった」は胸が痛みます。

「わたしも 天帝とのやくそく まもる いつまでも・・・いつまでも・・・」

 という台詞がある分、この事実関係について(「天帝の命」か「わかな姫の意思」か)はどうしてもプレイヤーの解釈で異なると思いますが。
 天帝のわかな姫への愛情を考えると、それほど長くわかな姫一人に「やくそく」を抱えさせるつもりはなかったけれど、わかな姫が自分の気持ちで「いつまでも・・・いつまでも・・・」と決意した、と解釈したい私。どちらにしても、健気な子や……。




【アスカの都を妄想してみた】

 ヤマタイ国繋がりでもうひとつ(……どころでは済んでません;)。アスカについて。
 先日、某番組で「飛鳥の都は石造りの都だった」という話を観まして。オリエンタルブルーのアスカの巨石群はそこから来ているのかな、と。

「アスカは おおむかしの せんそうで ハカイされ いまはみるかげもないが・・・
かつては ヤマトの町いじょうに さかえていたらしい
のこされている 石のぶんめいは ひとがつくったものでは ないらしい
れきしのナゾを ひもとくカギが アスカの地には あるのかもしれんな!」


 資料らしい資料になるような台詞はこれくらいしか確認できませんが(ゲドも発言しますが、かつての町の様子につては不明)、「のこされている 石のぶんめいは ひとがつくったものでは ないらしい」×「ゲド(マオウ)にしか開かない石の扉」=あの巨石群はマオウによって造られた……? という解釈になったのですけど。
 何にせよ、比較的白っぽくて真新しい(といっても大昔には違いないですが)石の建造物?は戦争後に建てられたと思われます。ミヤコ島にもまったく同じものがあるあたり。(あのあたりは戦争中、赤き目の一族の支配下にあったと思われるので)


 一方で、明らかに質の違う石がありますよね。ちょっと黒っぽいような古っぽいような。あと柱の跡らしきものとか。これこそがかつての都の名残ということでしょうか。
 かつて「ヤマトの町いじょうに さかえていたらしい」アスカは、どんな都だったのか。

 現実の『飛鳥京』の復元図なんかを元に考えてもいいと思うのですけど、ちょっと飛躍させまして。
 実は結構「青の一族色」が強かったらどうだろうと。イメージとしてはエローラの門とか、バーラトの建物のような。そういったものが立ち並んでいた石の都。あそこまで破壊されていなかったら、一種の超古代文明都市みたいに見えたりして。
 戦争以前は青の一族は人間社会に非常に密接に関わり合ってた、と思われるということから…………とはいえ、飛躍させ過ぎですね。いつものように適当に聞き流してください。(汗)

 戦争後は彼らが青の大地の生命(人間社会)との関わり方を変えるようになった、大きな転換期だったと思います。
 復興と事後処理を終えた後は、天帝という存在だけ残して大半がバーラトへ引っ込む……という方向へシフトしていった。するとやっぱり、天帝制度ってヤマト王都からスタートしたのでしょうか。青の一族とこの星に暮らすもの(主に人間)との新しい関係の始まり。
 だから、戦争後に造られたヤマトの町は石畳ではあるものの、建物は木造建築中心……と、言うなればアスカよりもずっと「人間(ヤマタイ国人)色」が強くなった、と(もちろん、長い歴史の中で変化していった結果の今の建築様式でしょうけども)。……飛躍させ過ぎですね。いつものように適当に(略)


 新しい都を建てるとなった時、なぜあの地(アスカ)ではなく現在の地(ヤマト)に移したのでしょう。
 あの上から新しい町を上書きしてしまうと、悲しい戦争の歴史が忘れ去られてしまう。一種の弔いというか碑というか戒めのような形で、ああいったふうに残したのかな、と。
 またマオウでないと開かない扉があるため、あの地にゲドを復活させた者を呼び寄せる、という目的もあったかもしれない。ひいてはロウラン(青の一族の後悔の歴史が刻まれている)に足を向けさせる……という演出が何とも。
 たった一体残ったマオウ。できたら復活させてほしくはなかったかもしれませんが、何らかの理由で復活させてしまった場合、破壊の歴史を繰り返さぬようにと過去からの戒め。

 石室に関してはそれだとして、アスカ北(上部)にある\ /に並んだ石の鳥居?みたいなものって何ですかね。形としては、ストーンヘンジを彷彿とさせますが。鎮魂等の意味があるのでしょうか。
 あと一つだけ最初から扉が開いている石室があるのも気になりますが。あの扉って「大人数で凄く頑張れば」開かなくもなさそうなあたり……まさか盗掘にあったのか。多分、プレイヤーに向けた演出だと思います。あれがないと、扉閉まっている状態の石の建造物が石室(開くもの)になっているとは思わないですから。




【ヤマタイの国のモデル】

 イカルガ、アスカ、ヤマト……と聞いて、ヤマタイの国のモデルって奈良県の史跡なんでしょうか。(シカいっぱいいますし)
 やっぱり、「邪馬台国」から? というよりこの場合は、「大和朝廷(ヤマト王権)」の意が強い感が。「邪馬台国がどこにあったか」は色々説がありますし。

 こうして見るとヤマトって立地条件かなり良さそう……というか、良いからあそこに王都を建てたのか。
 何といってもヤマト川に面している。水の確保だけでなく、交易とか防衛とか……文明の発展に大河は重要。
 あと、平安京みたいに地理を利用した自然の城壁になっているのでしょうか。西にヤマト川、北に森林(大都地方との国境にも川)、東にコノハナ神社、南にクド山……と。それで王都でありながら城壁らしい城壁がないのか。逆に、平地のど真ん中に建てられている大都はガッツリ城壁に囲まれていますし。(あちらは内部からの封印という事情もありますが)

 アスカが飛鳥京、ヤマトが平城京、大都が平安京をモデルとしているのなら、その遷都の流れに日本史好き(※思いっきり一部に傾倒)としては身悶えるものがうおおお……ッ!!


 では、コノハナ神社のモデルは何だろう? と。最初は木花咲耶姫(コノハナサクヤヒメ)の伝説に纏わる所かな、と思いましたがどうやら奈良県にはそういう神社はないっぽい。
 単純に木の花=桜なので、ネーミング的には「桜神社」という意味でしょうか。とはいえ「サクラ」の語源自体、「木花咲耶姫の「さくや」から」という説もあるあたり、全く無関係ではないかも。

 神社自体のモデルは、憶測ですが春日大社のような気がします。あの赤を基調としたデザインと、灯籠が有名であるといったら。ヤマトのモデルが平城京だとしたら、その東側にある神社ということで位置的にも彷彿とさせるものがありますし。
 行ったことないですけどね。行きたいですけどね。

 小学校の修学旅行で奈良とか京都行った時は「ふーん」て感じでしたけど、今はもう行きたくてしょうがないあるある(あるのか?)。修学旅行の時に今のテンションだったら、間違いなく同級生をドン引きさせる自信があります。映画村だってさ……修学旅行のあの日『水戸黄門』の撮影があったんだぜ……中学になってから『水戸黄門』にハマった時、「何故見ておかなかった」と凄く後悔したんだぜ……。




 以上です。
 一応、現実のモデルも参考にしながら色々と考えてはみましたが、知識不足で間違っている気がムンムンとしてきます。(汗)
 いつものように個人的な憶測だけで語っていますので、公式様とは一切関係ございません。特に「ゆめどの」と「天帝の像」と「けんのん」なんかこじつけた感満載で自分でも笑えます。誰かいいアイディアあったら教えてください。

 とりえあえず今さら気づきましたが、私は相当ヤマタイの国が好きみたいです。ニンジャの里も好きなんですけど。
 あそこに「クド山」置くあたりがニクい演出だわ……。九度山→真田親子の蟄居場所→真田十勇士ということですかそうですか。ジュウベエの名前のモデルって筧十兵衛(十蔵)から来てるといいと思った。(落着けそれは絶対に気のせいだ)

 ここまで読んでくださって、ありがとうございました。そんなこんなで考察目的の世界観光が楽しくて、いまだカラホト救えてません。駄目勇者。

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