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雑多な語り場。所謂「オタク」「同人」「二次創作」と呼ばれる要素全開かつ超ミーハーなので、そういったものが苦手な方は御注意を。更新は月2~3回程度ののんびりペースです。
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「おやは 子に 子は おやに それぞれの おもいを たくす
 だが そのおもいは つたわらず たがいに うらぎりとなる・・・
 そのおもいが つよければ つよいほど そのウラミは ふかい
 ひととは かなしいものよのぅ・・・」

「ひとは おもうのだ・・・ みなのために ひとのために
 そして そのおもいがつよいほど ひとは みちをあやまる・・・
 わるぎは ない・・・ そして ふこうを まねく・・・」



 真田丸第27回観ながら、メディックスとガラシャの台詞がずっと頭の中を駆け巡っていた果物ですこんにちは。
 もう、この……親子・兄弟の擦れ違いがね……もうね、身につまされ過ぎて、つらい。orz

 現在でも様々な謎を残す『秀次事件』ですが、秀吉と秀次の関係がこのように描かれているは初めて見たので、「なるほど、こういう解釈をされるのか」と驚き感心しました。決して互いを憎み合っているわけじゃないんですね。……だから、なおさら、つらい。
 互いを思い合っているのに、自分の思い込みや先走りで空回ってしまって、疑念ばかりが深まってしまい、どんどんこじれてゆく。取り返しのつかないまでに。
 「二人とも、腹を割って話し合えよ!」と思うのですが、もうこの段階では遅すぎるんですよね。きっと二人で面と向かって話し合えば、さらに思い違いをしてこじれるばかり。せめて鶴松が亡くなってから拾が生まれるまで……とか、せめて秀長が生きていれば二人の間を上手に取り持ってくれたんだろうな……とか。歴史に禁物であるはずの“if”ばかりを切実に願ってしまう、それが真田丸の素晴らしくニクい仕様。


 秀吉の「すべてはあやつ(秀次)の心の弱さが元じゃ!」に、つい「あっ……水月」と思い出したのはここだけの話です。(重症な青天脳)
 そして、そんな父親の本質を容赦ないほど冷静に見抜いている娘・たかにわかな姫を思い出したのはここだけの話です。(末期の青天脳)
 秀次は政治センスはあまりないけれど、能力は決して悪くないんですよね。文化人としての教養は優れているし、賢くて聡明で、下の者にも分け隔てなく接する。穏やかで優しい人。優しくて純粋で繊細で、他人の目を気にし過ぎて自分に自信が持てない。いい人なんだけど、関白の器ではない、という苦しみが……。もう、言葉にならなくて。

「しんじるもののために つくして うらぎられたと おもい いじけ
 みずからをおとしめ だだをこねる そう こどものように・・・」


 これ……秀次もだけど、秀吉にも通じるような気がします。秀吉は前回の『瓜売』の件で、自分を恐れるイエスマンだらけの周りが信用できなくなっている。孤独感という殻で、さらに周りを撥ねつけてしまっている。
 秀吉は相変わらず「恐ろしい」人ではあるけれど、『別離』におけるただの父親としての顔と、『瓜売』における孤独な道化の姿を見た後の、『不信』におけるワンマンな愛情の空回りを見ると、切なくて切なくて胸が痛い……。

 晩年の秀吉って「耄碌して狂気に走るバカ殿」として描かれることが多いですが、この秀吉はどこまでも正気で冷静なんですね……。正気で冷静なまま、何かを見失い、豊臣の歯車が狂ってゆく様を、正気で冷静なまま見つめ感じている、という残酷さ。
 ……で、またこの「正気で冷静なまま光を失っていく」姿が、マ界堕ちした水月を思い出させて以下略。(不治の青天脳)


「おもいやり・・・ だれかのために なにかをすること
 ごかい・・・おもいやりが つたわらなかったときに おきること
 おもいやり おたがいのおもいが つたわったときに むくわれるもの


 そんな、わかな姫の言葉を送りたい今日この頃(※17日夕方)です。
 ……――と、真田丸の感想として御覧になっている方には、先ほどから引き合いがマイナー過ぎて分かる人にしか分からないと思いますすみませんこのブログではいつものことです気にしないでやってください。(遠い目)



 それで私は真田丸の話をしたいのかオリエンタルブルーの話をしたいのかよくわからない流れになっていますが(汗)、この流れに関係あるようなないような(おい)話をしますと。
 小説を書くにあたって行商人の口上を確認したくて、『風来忍法帖』(山田風太郎)を読み返したのですが、最初にこれ読んだ当時(真田丸開始前)は特に深く思ってなかったこのシーン、

 まず第一番に瓜畑に登場したのは、柿色の帷子に藁の腰蓑をつけ、黒い頭巾に菅笠をかぶり、肩に天秤棒をになった男である。天秤棒の両側には瓜を盛った笊がぶら下がっている。
 それが、猿のようにカン高い、実によく通る声で流して通った。
「味よしの瓜。――召され候え。召され候え」
 はじめは、本物の瓜商人かと思った。まず本物が素人の大名たちに、見本を示したとしか見えなかった。ややあって、
「あれは、殿下ではないか」
 と、気がついた者があって、みな呆れかえり、どっとどよめいた。


 に、思わずガタタッとざわめいた私です。(笑)
 もう、だめ……完全にあのメロディーで再生されるほかありませんでした(メロディーはドラマの創作らしいですが)。この瓜売殿下は上手な瓜売殿下。
 あの『瓜売』もコメディ回と言われているけど、精神的に追い詰められてゆく秀次や、一見お笑い要素のようなやつし比べでも、裏で交差する人々の心を垣間見ると、ずーっと背筋に冷たいモノが張り付いて全然笑えなかったんです(面白いけど)。このずーっと張り付いていた「冷たいモノ」が今回の『不信』で猛威を奮って、本当「喜劇と悲劇は表裏一体」なんだなと思いました。
 『瓜売』で心の底から本当に笑えたのは、最後のおとり様の「ナレ死キャンセル」というメタな必殺技でしたという(笑)。常に背筋に冷たいモノが差しこまれている豊臣に比べて、雪解けの大地のような真田家のあったかさよ……。

 『風来忍法帖』は忍城の戦いがメインになっているのですけど、真田丸やのぼうの城見た後に読むと、また全然違う感覚で見えてきて、再読なのに不思議な新鮮さに満ち溢れていました。「正木丹波」「酒巻靱負」の名前に反応したり、ああ今ごろ三成は「奴らは頭がおかしいのか!」と言ってるに違いない、と思いを馳せたり(笑)。ヒロインの麻也姫は、のぼうの城で言うと「珠」に当たる人です。

 『風来忍法帖』は残酷なゲーム性にカタルシスを感じる『甲賀忍法帖』とはまた違う趣です。何物にも縛られない自由な風来坊たちが、ひょんなことからお姫様のために意地をかけ命をかけて戦いに身を投じるという、ロマンチックでどこか哀しく、爽やかで痛快、最後にはしっとり切ない気持ちになります。
 映画化してほしいなぁと思うくらい好きなのですが、色々な意味で映像化は無理だと思う、そこはさすが山風忍法帖です。(笑)


 あ、『のぼうの城』といえばといいますか映画化と言えばといいますか、『忍びの国』(和田竜)が映画化決定だそうですね!! 小説面白かったので、楽しみです。
 主演の方(恐らく無門役)がちょっと意外と言えば意外でした。ビジュアル的なイメージは「なるほどなぁ」と納得ですが、激しいアクションされるイメージがないので。
 個人的に『忍びの国』では織田信雄サイドがとても愛おしかったので、映画ではどんな解釈で、どのように描かれるか気になります。むしろ信雄サイドにガッツリ感情移入できるくらい涙ぐましく描いて、伊賀者たちの「あの者どもは人間ではない」異様な精神を浮き彫りにしてほしくて、さらにその上で「あの者どもは人間ではない」ながらに見ている方からすれば不思議な人間臭さを感じさせてほしい。

「虎狼の族の血はいずれ天下を覆い尽くすこととなるだろう。我らが子、そして孫、さらにその孫のどこかで、その血は忍び入ってくるに違いない」

 この台詞が一番印象的だったので、是非、背筋をゾッとさせるくらい効果的に入れてくださると嬉しい。……――と、注文つけておりますが、読解力貧相な私がこの小説を読んで感じた解釈が果たして正解かどうかまっっったく自信がないので(汗)、皆様には皆様の解釈を大切にしていただきたいのと、映画は映画で制作側の解釈にお任せしたいなぁという気持ちです。

 …………それ以前に、私は映画館でこれを観れるのか自信がないです。というのも、実写の流血描写がとても苦手だからです(汗)。でも原作読む限り、絶対、そういうシーン多いじゃないですか。後半の織田軍vs伊賀者の血で血を洗う大乱闘とか、激しすぎる。そこが面白いのですけど、という超個人的なジレンマ。
 エログロホラーとかスプラッタとかバイオレンスは文章や二次元表現(アニメや漫画等)なら全然平気なんですというかむしろコッソリ好きかもしれない(でなきゃ山田風太郎や夢枕獏作品を好んで読まない)のですが、どうも実写の「血」は生々しさがあって駄目みたいで。かつてその手(思ったより「血」が多かった)映画観た後、貧血っぽい症状を起こしたことが何度か。
 映画『のぼうの城』はDVDで観たのですが、それでさえ首が跳ぶシーンとか「ウッ」となりました。合戦や殺陣等の「アクション」はむしろ好きなのに、厄介な性質ですね。(苦笑)
 
 
 
 最近、こちらにやって来るとほぼ毎回真田丸の感想差し込んで雑記場とはいえちょっと落着け状態ですが、とりあえず第28回放送前に前回・前々回について触れることができて良かったです。
 多分、というか絶対、今晩は放送後に放心してorzすると思われるので。……ここのところ毎回そんな状態ですが、この先の(歴史)展開を考えると、きっと毎週こんな感じになってる気がします。(笑)

 こちらも擦れ違いでこじれてしまった真田兄弟については、きっとすぐに仲直りするだろうからそんなに深刻には考えてません(手遅れなまでにこじれてしまった秀吉・秀次との対比だと思います)。むしろ兄弟あるあるだよねと微笑ましいくらい……――とでも前向きに思わないと、自分内キャパオーバーして立ち直れない第27回の重苦しさ。
 プライド傷ついた信幸怒り爆発するも、「何というか……」と一旦口ごもった挙句、出てきた言葉が「抜け目のなさに腹が立つのだ!」というのに笑ってしまった。いや二人とも真剣だから笑ってしまうのは失礼だけど。「抜け目ない」って長所でもあるから悪口にもなってないあたり信幸兄さんの優しさと、明らかに兄弟喧嘩慣れしてない感が窺えて。
 信幸は弟に悪気のないことはちゃんと分かっている。だから余計に気持ちのぶつけどころがなくて「腹が立つ」。信繁も兄のことを心から尊敬していて、官位の件についても他意などまったくないし、要するに互いに仲がよくて大好きで起こってしまった擦れ違いなんだろうな、と。
 もうこの際互いの想いの丈を思いっきりぶつけ合って、なんなら浜辺で思いっきり殴り合いの青春ドラマでもして、最後には頬っぺぺちぺちしながら思いっきり仲直りして、笑顔で犬伏の別れを迎えたらいいんじゃないかな……――とでも前向きに思わないと(以下略)
 

【18日追記】

 一週間ほどして落ち着いてから書こうかと思いましたがあまりにも辛すぎてちょっと吐き出しておかないと前に進めない気がしたので第28回について。(※ネタバレというほどではないかもしれませんが再放送派の人はご注意を)


 つらい……本編も重くて苦しくて身につまされ過ぎて辛かったけど、それ以上に、視聴者の方々の感想が二つに割れている“現実”が辛かったです……。
 いえ、同じものを見て異なる感想や見解が出るのは当たり前のことですしむしろそういう意見の違いが面白いので、今回のことも「皆の作品批評」として客観的に眺めれば「面白い」と言えば非常に「面白い」現象ですが。ドラマから発生したものにしてはあまりにも生々しい現象で、つらい……。

 追い詰められた末の自殺。この秀次の心情が分かる人には痛いほど分かるし、分からない人には分からない、という現象がね……。脚本がどうのとか、想像力がどうのとかじゃなくて、本当にもう、どうしようもない『溝』のような気がします。
 どちらが単純に「善い」「悪い」ではないんですよね。どちらが単純に「愚か」でも「可哀そう」でもないんですよね。私もメンタル脆弱なんで観てて気持ちが秀次に寄っていましたが、秀吉が腹を立てる気持ちも分からないでもないのです。理屈では。でも人の心って理屈じゃないから……。という堂々巡りが苦しくて苦しくて言葉にならない。

 ただツイッター感想で「TLに秀吉と秀次がいるみたいだ」というのがあって、この視聴者の意見の分かれ方こそ、ドラマ上の秀吉と秀次の『擦れ違い』がいかに深刻でどうしようもなく噛み合わなかったのか、よーく、よーーっく、よーーーーーーっっっく、わかるかと思います。

 もしそこまで計算して脚本を書かれたのだとしたら、もう「凄い」を通り越して、「ドラマなんだから、そこまで生々しくしなくてもいいのよ!!!!」と泣きながら叫んでしまう勢い。(汗)

 
 ……ところで私がドラマ開始前から不安で不安で気になって気になってしょうがなかった、公式HP全体相関図の茶々→秀次の「邪魔」と、秀次→秀頼の「嫉妬」の要素、全然ないですね。いや本っっっ当、なくて良かったですと今心底ホッとしてます。回を重ねる毎に好感度UPして、現在助命嘆願されまくっている秀次を死に追いやるのが茶々だったら、視聴者からのバッシングが半端ないじゃないですか。私も秀次様好きになったし、その上で浅井茶々クラスタとしては、そんな展開辛すぎますもの……。

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