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雑多な語り場。所謂「オタク」「同人」「二次創作」と呼ばれる要素全開かつ超ミーハーなので、そういったものが苦手な方は御注意を。更新は月2~3回程度ののんびりペースです。
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14日に茶菓菜屋よりweb拍手と、14日の記事拍手ありがとうございました。

 ……やっぱりアレですかね。青の大地におけるニンジャの頭領は、服部半蔵みたいに代々「ハンゾウ」の名を受け継いでたりするんですかね(知らんがな)。前回、資料見ながらぽつぽつ考えてみてからというもの、ニンジャの里が大昔は惣国一揆(みたいな)状態だったらっていう妄想が止まらないんですがどうすれば(だから知らんがな)。忍者関係は起源がわかり辛いものが多い中で、伊賀惣国一揆(某資料では「コップの中の嵐」に例えられる)というのは、忍者という組織、忍びの術や山岳ゲリラ戦法の発展の理由として、素朴ながらわりと合理的に説明がつく点でも「なるほどな」と思いました。……だから青天的に何ということはないですが(汗)。

 今回は、最近読んだ本の感想です。青木朋先生の『天空の玉座』と、武内涼先生の『戦都の陰陽師』。



【天空の玉座 4巻】(※発売間もない上にネタバレなので反転)
 初っ端の紫禁城の全体図に興奮。想像以上に広大で驚愕。
 妃が皇帝の寝所に侍る時のしきたり「裸のまま布団にくるまれて太監によって寝宮まで運ばれる」て。相変わらず青木先生はやってくださいます(笑)。しかし珊瑚ってまだ12歳ですよね。当時(架空ですが)の感覚からすれば12歳は大人だと思いますが、この歳で閨事か……。(汗)
 個人的に嬉しかったのが、病已が「知花を皇后にする」と宣言したこと。もちろん最初から病已は知花のこと大切に想ってるんだなぁとは見ていたけど、異性としてはどうなんだろう? と、そのあたり明言されてなかったから気になってたもので。この際、皇帝と皇后としてじゃなくてもいいから、この二人には幸せになってもらいたいです。譚さんは色々とドンマイ。(笑)
 相変わらず歪みない兄さん。「妹妹のために国家予算オーバーの宮殿を設えようとする」「毎日のように妹妹の床に入り込む」「顔パック」。そしてやっぱり最後も歪みない兄さん……! どうなるよ。(汗)

 珊瑚と知花のコンビに既視感あるなぁと思ったら『三国志ジョーカー』の妹妹(周瑜の妹)と愛ちゃんだった。見目も性格もよく似てる。そしてこの兄さん(周瑜)も大概にシスコンだった。(笑)



【戦都の陰陽師】(※重要なネタバレは控えています)

 この世を魔界化の危機から救うため、安倍晴明の末裔である陰陽師の姫と、それを守る七人の忍びが旅に出る……という私得過ぎる設定に惹かれて直感購入しました。
 日本の戦国時代が舞台ですが、設定から察せられるように妖魔が出たり、魔法的な呪術や忍術が登場したり、化け物じみた超人と激しいバトルがあったり……と、ファンタジー要素強いです。間違いなく「ファンタジー」なんですが、しかし一方で史実の戦国時代における文化や町、人々の暮らしや自治、土地の成り立ちや歴史、自然の描写がこれでもかというほど大変に綿密で、ファンタジーであることを忘れるほどリアリティがあります。
 ……どれだけリアリティがあるかというと、後の権力者や近現代への批判・警鐘的な意図が見えたりして、その度に一気に現実に引き戻されて「うぐっ」となるくらいリアリティがあります。(汗)

 いや、ストーリーは面白いです。次々と襲い掛かる強敵・過酷な旅路に、「もうやめて! 光子たちのライフは0よ!」と叫びたくなるほど、後半はもう息つく間もない展開です。常に緊張の連続というハードな内容ですが、それはそれで面白いです。
 対魔に特化した陰陽師と対人に特化した忍びという、明確な役割分担とチームワーク。超人的な忍者アクションのカッコよさ。安倍晴明や鉢屋衆、伊賀者と出雲の意外な関係とか、神代にまで遡る伝説とか。
 地元に近い山陰が舞台というのも嬉しい。でもその土地に生きる人々や文化の歴史は、知らないことばかりで「へぇ~」と唸らされます。大山おこわの発祥とか……初めて知りました。方言の描写にもこだわりがあって、広島弁はまあまあわかるのですが、出雲弁は馴染みがないせいか何語?でした(汗)。文字で見るとややこしいですが、頭で復唱すると意味はわかります。
 過酷な現実を突きつけられても失われない光子の真っ直ぐさ。個性豊かな忍びたちの強靭な体力と精神力。光子と疾風の間に芽生えた、触れるか触れないかという淡すぎる想いにもどかしくも「ふぉうぁー!」と悶絶しつつ、疾風の男前ストイック具合と天然タラシっぷりは本当いかんと思います。(真顔)他人に顔を覚えられない「もぬけの術」って、忍者としては最適な能力だと思いますが、同時に孤独でもあるんだろうな。術が体臭のように身に染みついていて、自分では解くこともできないらしい。もし自分で自分の顔も思い描けないのだとしたら、さらに切ないですが。

 ――等々、要素的には予想通り好み過ぎて私得過ぎてハッスルハッスルだったんですが……いかんせん、読み切るのに時間がかかりました。
 なぜかというと、最初に述べたように「説得力のある綿密な描写と、それに伴った近現代への批判・警鐘的な意図が見えて一気に現実に引き戻されて「うぐっ」となる」からです。

 この作品は、どこまでも「民の目線」に沿って描かれているんですよね。将軍どころか朝廷まで蔑ろにされるほど道徳や秩序が崩壊した戦国時代というのは、民の視点からすれば想像を絶するほど過酷な時代だったわけです。力ある者たちによって理不尽に蹂躙され、搾取され、犯され、殺され、奪われ、焼かれる。その中で、古から培われてきた自分たちの土地や暮らし、ささやかな幸せや命を守ろうと、懸命に知恵を絞り、権力者に屈しない独自の自治を行っていた。自立的な「民の力」があった時代だ、とも書かれています。一方で、後世で英雄のように描かれる大名(権力者)たちには「そんな民の力を奪っていった」と批判的な見解が明確に書かれています。また、植物の描写に非常にこだわりが強く、近現代の自然破壊やそれを招いた政策に対する危惧や怒りを感じられる文面がしばしば見られます。
 作者の方が自身の作品においてそういった自分の伝えたい「意見」を盛り込むのは当然のことですし、こういった視点での見解は「なるほど」と思う部分も多く、色々と勉強になります。――――が、それを登場人物に代弁させるとか間接的な表現ではなく、地の文において「わたしは~思うのである」的な直接的な書き方をしてあると、その度に物語の世界に入り込んでいたところを一気に現実に引き戻されて「うぐっ」となってページをめくる手がストップしてしまう私です。(汗)
 こういった面は、作品の特色としての評価点でもあるでしょうし、人によっては「よく言ってくれた!」と感銘するものでもあると思います(私も小説ではなく、エッセイとか資料系の本であればそういった内容は興味深く読めます)。ただ、私がフィクション小説を読む最大の理由は「現実逃避」なので、歴史は繋がっているから当たり前なのですが、現代(現実)に通ずるものを見せつけられるとね……「小説を読む=現実逃避」の私にとっては辛いものがね、あるんですね(汗々)。いや、その、これはまあ、私という読者の脆弱不純具合がいかんのだと思いますが。

 そんなこんなで度々現実に引き戻されて意気消沈しつつ、しかし内容はモロ好みで面白いから先は読みたいという、謎の羽交い絞めに苦しみながらヒィヒィとページめくってました。「設定に惹かれた」という現実逃避したいヲタ欲全開の軽い気持ちで手に取った分、現実引き戻し拳にぶん殴られたダメージがでかかったというのもあります。軽い気持ちで読んですみませんでしたと土下座する勢い。そういうわけですから、個人的には「ページをめくる手が止まらない」本ではなかったです。
 いや、本当に内容はモロ好みで、面白いんです。面白いんだけど、読むのが辛い。読むのが辛いんだけど、面白い。常に微妙な息苦しさも孕みながらだったもので、たまに深呼吸して気持ち切り替えたりして、とにかく読み切るのに時間がかかりました。
 ……さっきから意味不明な言い方で申し訳ないのですが、相反する感情に羽交い絞めにされながら突き動かされるこの感覚って、わかる方おられますかね。(苦笑)

 もともと「見てスカッとする」活劇的なモノが好きな分(もちろんそういった要素もあります)、切なさや虚しさ、ダメージの方が強かったので(定番要素ですが「魔物より人間の方がずっと怖ろしい」と思った)、読後のあまりの疲れに、最近フィーバーしていた読書欲が冷めました。おかげさまでと言いますか何と言いますか(苦笑)、しばらくは創作活動の方に専念できそうです。

 と、こんな言い方をしていますが、どうか誤解なさらないでください。(汗)
 間違いなく面白かったんです。過酷な時代、人の世を救うため命を懸け、死を乗り越え、心身ともにぼろぼろになりながら懸命に駆け抜けた光子たちの姿には感動を覚えます。むしろ眩しすぎて苦しい。
 この手の要素が好きな方は本当にたまらない、「ページをめくる手が止まらない」作品だと思います。私自身も、「好き」だし「おすすめ」と呼べる作品です。そうでなかったら最後まで読めていないです。
 落ち着いて、気持ちを切り替えたら、また現実引き戻し拳にヒィヒィ苦しみながらじわじわと続編を読みたいと思います! そういうドMがここにいる(笑)。今度は果心居士と松永久秀が敵役として登場するっぽいですね。



 ここからはダラダラと雑記。
 『戦都の陰陽師』には「里入り忍び」が登場します。彼らの働きが印象的でした。

 里入り忍びは、五種類の乱破の中で、もっとも過酷な忍者だという。
 他国で生まれ、子をなし、死んでゆく。だが、先祖が伊賀や甲賀からきた事実を決して忘れてはならない。何もなければ平凡な民として一生を終える。もしことあれば、忍者の本性をあらわにし、さっきまで楽しく会話していた隣人にも牙をむかなければならぬ。忍びの里にいないから体術は習得できない。
 ただ――心の在り方だけ、忍びであれともとめられた凄絶な者どもである。


 離れた土地の情報を流すため「里忍」「里隠れの忍び」と呼ばれるものがいるというのは知っていましたが、いざ物語の中でその活動を見せつけられると、生き様に凄まじいものを感じました。
 「忍」とは「耐えること」の意がありますが、どれだけの忠誠心があればできるんだ、と戦慄。
 大昔の作品ですが、山田風太郎先生の『甲賀忍法帖』において「まだ主従の道徳を確立していないこのころにあって、命令者と被命令者のあいだに鉄血の規律がうちたてられていたのは、忍者一族の世界だけだったといってよい」という文を思い出しました。

 藤林疾風と服部飛鳥があの若さで上忍というのは、伊賀における上忍・藤林家と服部家の者だから、なんだと思いますが。ただややこしいことに、

 忍術の解説書の中には、戦国時代、伊賀では服部・藤林・百地の三人の「上忍」の下に「中忍」と「下忍」が仕えたとするものがあるが、これは正確ではない。上忍・中忍・下忍とは、忍術秘伝書『萬川集海』にいう「期待される忍者像」として上・中・下に分けたもので、忍者組織の区分ではなかった。(参照『決定版 忍者・忍術・忍器大全』より)

 なわけでして。近年の参考書では大体「上・中・下忍という区分は、身分や地位の上下を表す言葉ではなく、忍術の上手下手を表すものであった」という見解になっています。「服部、藤林、百地は上忍(=優れた忍者)である」からこそ伊賀においての権威が高かったと見ればいいわけですかね。このあたり、昔から私の中でもややこしくなってます。(残念頭)
 多分、ややこしくなったり後世に誤解されたりするのは、戦国以前の伊賀の資料(どの地域をどんな人物が治めていたか等)がほとんどない(らしい)から、というのもあるでしょうね。織田信長による天正伊賀攻めが徹底した焦土作戦だったので、その中で資料の類も抹消されたようだ、とのこと。

 しかし『万川集海』では「この術は他の芸とは違い、上手と言われているのは中級の忍者であって、良いものではない。ただ、上手も下手も人に知られることなく、切れ者であるのが上級の忍びとされるのである」とあって、要するに「この人は優れた忍びだ、と名が残っちゃった時点で優れた忍び(上忍)ではない」ということなんですね。「この者共は皆底が浅いから有名なのである」と。おおう。(苦笑)

 とはいえ、伊賀者において命令者と被命令者という明確な上下関係はあったはずです。
 和田竜先生の『忍びの国』で、各地侍(十二家評定衆)に所有される「下人」(直接依頼先に派遣されて忍び働きや戦闘を行う者たち)が働いていた、とあって「なるほどなぁ」と自分の中でようやくスッキリまとまった感じです。
 しかしここでは「地侍どもは、そもそも下人など人とも思っていなかった。彼らは子供のころから下人を鍛え上げ、「我が下知は絶対」と、下人どもの脳髄に刷り込み続ける。下人は成人するころには恐怖を伴ってそんな教えを身体の隅々にまで行き渡らせ、「その場で死ね」と言われれば、即座に命を擲つような道具になり果てている」という設定なもので、なかなかにブラック(汗)。そういった世界で育ち揉まれた下人たちも大概に強かで人でなしなものですから、それがこの小説の特徴なのですが。

 あくまで小説は小説なので、実際に伊賀者の命令者と被命令者の間の感情がどうだったかはわかりません。しかし下剋上が頻発し親子兄弟間でも裏切りが起こるような戦国時代において、「裏切りは許さない」という徹底した組織力というのは強みだったろうなと思いました。
 逆に、組織に属さない一匹狼の忍者がいかに信頼を得ることが困難か、というのは加藤段蔵(飛び加藤)の逸話が物語っている、なんて言われてます。忍術も幻術も優れた有能な忍者ですが、それだけに「味方であるうちはよいが、寝返ったら怖ろしい」と危険視され、上杉謙信に命を狙われ、最後には武田信玄に殺されてしまった。「忍術が忍者の技から忍者組織のシステムへと移り変わっていく時代を表現したエピソード」と。
 無門も下手したら段蔵みたいな末路を迎えかねないところだったのかも、と思えたり。



 以上です。
 ここまでダラダラ語っておいてアレですが、あの、決して歴史研究とかいう大それたものではなく、(読書や創作等のための)「イメージ固め」だけなので、書いてあることを真に受けないでくださいませ。ただでさえ不明な点が多いですし、勉強不足で史実とは色々と間違っている自信があります。気をつけてはいますが、やはり虚像(小説等のフィクション)と実像(史実に基づいた資料)をごっちゃにしているところがあります。あれこれ曖昧に濁して拙い文章なので、誰も真に受ける方はおられないと思いますが、どうか真に受けないでくださいませ。(滝汗)
 色々読んでいくうちにまた認識が変わると思います。ここまで読んでくださって、ありがとうございました。

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