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雑多な語り場。所謂「オタク」「同人」「二次創作」と呼ばれる要素全開かつ超ミーハーなので、そういったものが苦手な方は御注意を。更新は月2~3回程度ののんびりペースです。
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……が私の書くジュウベエのイメージな気がしてきました。幼いころよりの忍者=落・乱の影響は相当強い感がしますが、どちらにしても最早他人である(汗)。若い頃(※年齢不詳)は利吉さんみたいな、優秀だけど自分にも他人にも厳しい協調性がないわけではないけどやや近寄りがたい一匹狼気質。年をとるにつれ(※年齢不詳)周りに毒され?たり地位が高くなったりしたことにより責任感と面倒見スキルが加わったのだとしたらいいなー……という完全なる妄想です気にしないでください。キャラに夢見るのがヲタクの仕事ですから!(開き直るな)


 先日TVで赤い雨の話を観て思い出したのですが、『オリエンタルブルー』プレイ当初、青の海が赤くなった事態に対して「えらく強烈な赤潮だな」とわりと本気で思っていた果物ですこんにちは。
 「青の海が まっ赤になっちまって さっぱり サカナもとれねえ」→ほらやっぱり赤潮だ!→青の城復活で青い海に戻る→城復活の時に海が撹拌されたからだ! ……相変わらずファンタジー世界に対してこんな浪漫のない思考ばかりしてすみません。(汗)

 そんな冗談(最初わりと本気で思っていたくせに)はともかく、青の海が赤くなったのは何故なんでしょうね。それが「いつごろから」というのも不明(「ちかごろ~」という発言はありますが)。
 漁業とホウオウ船の運航による収益があの町の主な収入源でしょうから、それがあまり長期間ストップとなると経済壊滅ですよね。とすると海が赤くなったのは(ゲーム開始時から見て)ごくごく最近のことですか。

 それこそ、主人公が旅を開始したと同時にとか。封印されている青の城が自分アピールのため何かエネルギー的なモノを発して、その影響で周囲の海が赤く。その異常なエネルギーを嫌って、魚たちは海から離れてしまう(大地震の前兆の電磁波を感知して生き物が異常な行動を取ることは実際にありますよね)。赤くなったのは実は不吉な現象ではなかったけれど、沿岸の人にとってはどちらにしても迷惑な話だったと……我ながら適当にもほどがあるこの推理。(汗)
 「・・・もとどおりのようにみえるが なんか まえの 青の海とはちがうだよ」という台詞がちょっと気になりますね。単に世界がマ界の影響を受けているという意か、青の城が復活したことによる環境の変化が原因か。

 設定上はともかく、ゲーム上の事情はそれこそプレイヤーへのアピールが強い気がするのですが。青の城の在処を示す古文書には「かなたの みさき 青き海の かなたへ・・・」としか書いてないし、「青き海」と言われても海はどこも青いよ! って話ですし。
 海を赤くすることでフィールド見た時にまず「なんぞこれ!?」と注目しますし、青の海を赤くすることで逆にここが「青の海」だとアピールするという……文字にするとややこしいけど逆転の発想凄いですね。


 某所でのトキ関連のお話が大変興味深いのですけども。しかし私の悲しい知識レベルでは入り込めそうにない分野なので(←そもそも入り込むなよ)、そちらはお任せしまして、自分の得意?分野の方面から細々と別の話をしてみたいと思います。
 以前、マジン・ダーマについて考察した時にも過ぎったのですが、改めて考えると「青のきろく」と「ふめつの炎」周りの時系列整理したいですね。……果たしてあの公式情報だけでできるのだろーか。(汗)

 あと「カラホト」の元ネタとなった黒水城について先日図書館で調べて来た(とか言ってますが、某エネッチケーの番組DVD観ただけですハイ;)ので、そのあたりもまとまれば書きたい……かな。暇人とか言わない(※こーゆーことをつらつら書いている時点で既に大いなる暇人である。……本望!)
 自慢ではありませんがわざわざ調べに行くというほど私は勉強熱心ではありません(汗)。家族の付き添いで出かけた時に、待ち時間が長かったので図書館で過ごしただけです。しかし図書館っていいな。マジで実家の近所に図書館欲しい……。

 ――と、相変わらずいつものノリで青天トークしかけてますけど、今回は久々に落乱カテゴリで。某小ネタ書いた影響で最近、じっくり読み返しまして、改めて思ったこととか、思い出話なんかをポロポロと。萌え語りのような、考察のような、やっぱり萌え語りのようなただの萌え語り話。(要するに萌え語り)




【(私の)主な参考資料の話】

 忍者関係の専門書は落乱(←専門書?)と『乱太郎の忍者の世界』『忍びと忍術』(山口正之先生)を長年愛用してきたのですが、最近それだけだとちょっと心許なくなってきて(そりゃそうだ)、『概説 忍者・忍術』(山北篤先生)を購入。相変わらず直感である。

 まだ読みかけですが、史実(現実)的側面を考えると「『万川集海』すら幻想である」とバッサリ切っているあたり、わかるけどちょっと切ない……から面白いのが現代の忍者像なんですけどね!(苦笑)
 でも「天才ならざる普通の人間が、それでも超人的働きをしなければならなくなった時、彼らは、いかなる工夫によってそれを成し遂げたのか。後世の人間までも忍者=超人と思わせてしまうような活動をするために、生身の人間がどのような組織を作り上げたのか。」というあたりが、やっぱり人間という生き物と歴史の浪漫だなぁと思います。


 起源の説とか某人物が実は忍者だった説とか、あれこれ見ていると、そもそも忍者ってどこからどこまでが「忍者」なのか定義が難しい……というか厳密には「無い」んじゃなかろうか、と思います(『万川集海』における忍びの定義はひとまず置いておいて)。「忍者」という言葉も江戸時代以降のものらしいですし。(戦国時代では地方や組織ごとに呼び名が違っていた)
 およそ「そういうこと(忍び込み、諜報、ゲリラ戦法等)」をする個人とか集団が、後世にそう総称されたのかしら、と。そのあたりモヤモヤしてるところもまた魅力なんですけどね。


 資料買って、特に小説書くためとか何に使うってわけじゃないですけども。単純に読んでみたくなっただけ。それが自分内データの引き出しにしまわれ、いつか何かのきっかけで役に立ったり立たなかったりするかもといういつもの例です。

 尼子先生が「名和弓雄先生の本を参考にしている」と言われてたり、『乱太郎の忍者の世界』の巻末にも参考資料が紹介されてたりするんですが……いかんせん古すぎて現在では入手困難なものが多数(汗)。落乱の連載自体が80年代スタートなんで、仕方ない話ですね。(とりあえず紹介されてた中で入手できたのが『忍者の生活』の新装版だけ)
 もちろん、近年のものでもいい本はありますけども。とかく財布との真剣会議です。最近本による出費が半端ない。そのくせ読むのが追いついていないというダメ本読み。orz




【万川集海の話】

 『忍びと忍術』において特に興味深いのは『忍術と道徳』の項目ですね。正心や三禁に関しては落乱でもしばしば扱われますが、「忍術学における忍者の理想像」の基本資格十ヵ条がなんというか……凄まじい。『万川集海』の中から「忍者召し使うべき次第の事」という条項を抜き出したものらしいです。

〔第一〕忠・勇・謀・功・信の五徳を兼ね備えて、しかも身体健全なる人。
〔第二〕平素は柔和であって、義理がたく、欲少なくして理学を重んじ、行いは正しく、恩を荷って忘却しない人。
〔第三〕弁舌に長じて博く内外の書を読み、智謀深く、平常の談話でもわかりが早く、人の口車に乗せられて欺かれない人。
〔第四〕天命を知って儒仏の理を兼備し、死生も命あることを常に心にかけ、私欲を離れるよう心がけ、先哲や故人の語に心を入れる人。


 ……という感じの内容が続き、最後にこれ。

〔第十〕軍術はいうに及ばず、諸芸に熟達し、詩文・歌舞・音曲・物まねなどの遊芸も身につけ、時宜に適して演出し、如才ない人。

 何というハードルの高さ。(汗)

 「これが忍術教育の指導要領である。まったく驚くほかはない。しいていえば、忍術大学の教育方針とでもいえようか。上忍たるの道、またかたいかなである。」という筆者のコメントに、苦笑しながら頷くしかない私でした。


 忍はすなわち刃の心である。心に刃をあてる、いいかえると心を殺す心である。私心を滅却して正心を振い起す自己確立であった。公儀の遵守、これが忍者社会に成立した道徳規範であった。

 この「心を殺す心」というのがカッコいいけれど、解釈が難しい、というか、高潔かつ微妙な線なんだろうなと。
 大昔に「はじめから心が無ければ殺す必要はない。心を殺すというのは、心を生かすということだ」的な言葉を聞いた記憶があります。あまりにも大昔過ぎて本だったか映画だったかドラマだったか忘れましたが。内容忘れたわりにはこの言葉だけ憶えてるって、どんなだったんだ。それだけ小さかった頃の話。(忍者モノではなかったと思いますが)

 ちなみに『概説 忍者・忍術』ではその十ヵ条について「まさに、そんな人いるわけがない理想の人物である。あくまでも、こうだったらいい、という理想として聞き流しておくべきだろう。忍者のほとんどは、学も知恵もなく、体術のほうも怪しい流れ者だったのだろうから。」とバッサリ。おおう。(汗)


 それにしても『万川集海』の現代語訳版すんごい読みたいんですけど、いかんせん絶版で入手困難。古本でもごっつ高いんすよ……。最後の砦・図書館にもそんじょそこらにはなかなか置いてない始末。(泣)
 『万川集海』ググれば冒頭文なんかは見ることができますが(http://www.ninja-museum.com/ninja-database/?cat=22)、それだけでも魅力。特に『刃心』は身から震えが来るほどに勉強になります……! もうこれ忍者に興味がなくても面白いんじゃないかな、と。書籍が欲しい。

 関係ないですが、何年か前に『わかれ 半兵衛と秀吉』(谷口純先生)を探しに探した記憶が蘇ります。こちらは運よく図書館にありましたが。
 知る人ぞ知るという感じですが、文章と台詞に大変胸締めつけられ、私をボタ泣きの嵐に叩き込みました。英雄の活躍を描いた歴史モノではなく、その時代の中で芽生える愛情や葛藤といった「人間と人間」の心の模様がメインなんです。秀吉を好きな人にも、嫌いな人にも、歴史・戦国モノに興味ない人にもお勧めしたい、猛烈に復刻を希望する時代小説です。
 ……黒田官兵衛も出るからあわよくば今年の大河の影響で再版されたりしないかなと微かに期待してみたけど駄目だった。orz




【義盛百歌の話】

 忍歌とも呼ばれています。『忍びと忍術』、その元となった『万川集海』にもしばしば引用されている和歌。忍びの心得が詩として詠まれています。前々から知ってはいたものの、きちっと調べてみたのはつい最近のことですが。(苦)
 これを書いた伊勢三郎義盛という人、かの源義経の家来で忍びだったとか。そもそも書かれたの江戸時代じゃないの? とかいう話もありますが、それらの真偽はともかく、内容がわかりやすくて非常に面白い。

 例えば「しのびには ゆくことよりも 退口を 大事にするぞ 習ひなりける」は『乱太郎の忍者の世界』にもあった「忍びこむときには、まず逃げ方を考えろ」ということですし、「しのびとて 道に背きし 盗みせば 神や仏の いかで守らん」は正心のことですね。
 わかりやすい……けれどやはり解説が欲しい今日この頃。そんな一年は組もビックリな理解力ゼロの私でも、「なるほど!」と頷ける歌がたくさんあります。こちら(http://www.ac.auone-net.jp/~oknehira/GunpouJiyousyuu.htm)に全和歌載ってます。見るだけでも面白い。
 この義盛百歌をテーマにした漫画『忍歌』(かわのいちろう先生)があります。忍者モノとしてもアクションがとてもカッコいいので、おススメです。

 ……先ほどからこんな語りばっかしてますけど、歴史研究とか忍者研究したいとかいうわけではなく、ただの落乱好きのヲタクですから。あしからず。(滝汗)
 「●●の話」ってごぎげんようじゃないんだから。




【呪文の話】(6巻、16巻、26巻)

 ここからようやく落乱に纏わる話です。忍者繋がりとは言え、危うくカテゴリ詐欺になるところだった。(汗)
 『忍びと忍術』によりますと、古典忍学では呪文(呪術)の類は殆ど触れられていないとのこと。

 忍術の正統は、合理的・科学的な兵法であり、それから導き出された兵術であるから、こんな迷信や呪術が食い込む素地はなかったのである。(中略)「万川集海」二十二巻にも結印の術は説かれていない。

 ただ一つだけ、隠形の術の術例の中で触れられている、落乱では「かくれるときに唱える呪文」として取り上げられた「オン・アニチ・マリシエイ・ソワカ」という呪文があります。呪文関連は原作よりも伝奇的要素が強い絵本『らくだいにんじゃらんたろう』の方でよく出ますね。
 これは摩利支天の真言で、その特性にあやかって唱えるのだろうと言われています。摩利支天は武士の間でも信仰されていたことで有名らしいですね。(私は大河『風林火山』で知ったのですが;)


 とはいえ、原作では「だが 呪文を唱えてパッと消えることができるほど 世の中 あまくはなかった」とスッパリ。絵本では呪文を間違えて失敗するというお約束。(笑)
 幻術等の精神攻撃を防ぐ時に九字の印もしばしば登場しますが、どちらの呪文も唱えて何かが起こる呪術というより、精神統一して心を落ち着かせるためという目的で使われています。以下は呪文ではなく、呪符についての話となりますが、

 必ずしも信ずべきではないが、あながち迷信として排斥すべきものでもなく、用い方によっては自信を決死の心にまでかりたてる心理作用を起こすこともあるので、時宜に従って用いるがよいといっている。

 これは『正忍記』の記述……なのかな? 『万川集海』と並ぶ有名な忍術の秘伝書らしい。こちらも現代語訳版が読みたいところです。
 ちなみに『正忍記』では他に人相判別法というものがあり、落乱では26巻で取り上げられてますね。土井先生が言った、
「ところが最後に大事なことが書かれてあって(中略)『かならずしもあたるわけじゃないよん』と」
「つまり 相手を見るときはそれぐらい注意してよく観察しなさい ということだ。ただし!! 相手の顔をじろじろ見ちゃいけないよ」

 ということも書いてあるとか。資料を読んで、「なるほど落乱で言ってたのはこういうことかー」という記述を見つけると嬉しくなりますね。それを面白く分かりやすく描く尼子先生は凄い、と改めて思います。

 『概説 忍者・忍術』では、呪文の扱いについて具体的には以下のように認識されています。
 神仏や呪法の加護があると信じることで、余計な不安を除き自信を持って行動できる。隠れているとき不安のために身体が震えだしたり、石垣に飛びつくときに足がすくんでジャンプ距離が短くなったりといったことが減るなら、充分に効果があるといえるだろう。




【無量寿経と古法十忍の話】(28巻、40巻)

 呪文と言えば、もう一つ。
 40巻で古法十忍について扱われていましたが、その名称がどこかで聞き覚え(見覚え)あるなと思ったら、28巻でドクタケ忍者が使っていた「幻術の呪文」ですね。

六根清徹 三法忍 音響忍 柔順忍 無生法忍 是 無量寿仏 威神力 本願力 満足願

 「幻術の呪文」とは言いますが、具体的にどういう効果があったかは不明。落乱では幻術に関しては「タネも仕掛けもある目の錯覚」という扱いになっています。(とはいえ子ども向けギャグ漫画なんで魔法的表現が強いですが)
 夢枕獏先生の『沙門空海唐の国にて鬼と宴す』でいう「呪」の思想に近いのかな。でも何故この呪文(この言葉)なのだろう。今のところ、私の方では資料がないので何とも言えませんが……。
 この呪文はどこから来ているのだろう、と少し調べてみると『仏説無量寿経』というものに、これらの言葉が出て来ます。経の内容を訳すると以下のこと。

「仏道を成るに至るまで、六根清徹にして、もろもろの悩患なし。阿難、もしかの国の人天、この樹を見るもの、三法忍を得。一つには音響忍、二つには柔順忍、三つには無生法忍なり。これみな無量寿仏の威神力のゆえに、本願力のゆえに、満足願のゆえに、明了願のゆえに、堅固願のゆえに、究竟願のゆえなり。」(参照http://www.icho.gr.jp/seiten/html/035.html


 さらにそれと、古法十忍の名称との(一部)関連性も不思議。音声忍、順忍、無生法忍はこの呪文(経)から由来しているのでしょうか。

 音響忍は無量寿経において「道場樹の音により真理を覚る」こと。古法十忍では「こわいろを方言を習熟して、相手に信頼させて油断させる法」として音声忍。
 柔順忍は「心が柔順になり真理に逆らわない」ことであり、「常に人に順がい、ことさらに術策をめぐらすことなく行う無策の策」が順忍。
 無生法忍は「万物は平等無差別の真理を覚る」こと。古法十忍では同名で「乱れて利を取る、火事ドロ的な策略」とあります。

 こちらで話題にした手裏剣のことにしてもそうですが、こうして見ると、忍者の起源とも言われる修験道との繋がりも感じますね。(起源については諸説ありますが)
 その他の古法十忍について知りたい方は、是非『落第忍者乱太郎』40巻をお読みください。(宣伝)
 無量寿経の言葉解説はこちら(http://www.geocities.jp/tubamedou/Joudo/Muryouju01b.htm)の『無量寿仏の道場樹』より参照させていただきました。




【人を破らざるの習い と 色 の話】(15巻、26巻、37巻、42巻)

 長い歴史の落乱で印象に残るエピソードは数あれど、ただ今、一つ挙げるとしたら26巻の小松田さんクビ騒動の話でしょうか。
 『人を破らざるの習い』がテーマですが、最初読んだ当時(小学校低学年ぐらい?)はその効力がピンと来てなかったなぁと。もちろん小松田さんが皆に好かれているのもわかりますし、出茂鹿(之介)さんの行為が人を怒らせることで、人の心を傷つけてはならないというのもわかってはいましたが、それが仕事や忍術の運びに具体的にどう結びついているのだろう? と。

「『人を破らざるの習い』とは つまり 人の心を傷つけると 感情的になって なにごともうまくいかなくなるよ という教えだ」(中略)
「そうでしょうか? あれこれ考えるより仕事も戦いも結果が大事だと思いますけど」
「仕事も戦いもいつも うまくゆくとはかぎらない」
「結果ばかりをもとめて人の心を破っているといつか失敗するぞ。小松田くんは その逆で 仕事はともかく 人の心を破るようなことをしないから みんなに好かれているんだ」


 これは『敵の心を取る』という形で戦いにも応用できる、とありますが、数年後に読んだ『乱太郎の忍者の世界』で以下のように書かれていて、それで納得できました。

 相手をおこらせてしまうと、何ごともうまくいかなくなります。それより、まいったふりをしてでも、相手を油断させて上手に利用した方がいい、と忍者は考えました。

 ……しかしこういったことも、さすがに今はわかりますし、むしろ一ケタ歳にしてそれがピンとわかってしまったら、逆に打算的で可愛くない子どもだろうなー、と(汗)。当時はあれで良かったと言えば良かったのか。
 ただ、そういうこと(対人関係とか人間の心とか)を気にし始めた年頃ではあったんでしょうね。親には10歳前後ごろから急激に理屈っぽくなった、と言われています(苦)。こうして出来上がったのがこんなの


 実はこのエピソード、初見したのはコミックではなく小学校の掲示板に張られていた『朝日小学生新聞』でした。同級生は忍たま乱太郎は知っていてもあんまり落乱にピンと来てなかったみたいですが、私は既に絵本から原作からダダ嵌りだったので、毎日掲示板の朝小チェックは欠かせなかった思い出。でも先生も毎日几帳面に更新してくれるわけではないので、全体的に飛び飛びでムキーッとしてました。(笑)

 ちなみに私は小松田さんと同じ魚座のA型です。落乱キャラの星座・血液型は性格から星占いで決められているらしいので、それで妙に親近感湧くんだろうか。(笑)
 あと虎若、数馬、兵助、間切さん、タカ丸パパも魚座のA型。基本的には真面目で大人しいんだけど、マニュアル小僧、鉄砲小僧、影薄い、豆腐小僧……って特定のことになるとヲタくさくなるのが特徴ですか。(※どういう基準での設定かは不明です)


 一方で三病と三禁をテーマにした37巻の話では、「色」についての指摘が印象的でした。さすがにこの頃は中学生になっていたので、忍者がシビアな職業であると(ようやっと)認識し始めていましたが。もし小学生でこれ読んでいたら、どう悩んでいたのかしら私、と思うところ。

「『色』には「心のやさしさ」という意味もあるのだよ」
「安藤先生 それって美徳だと思いますが」
「ふつうならばそうですがね しかし忍者にとってそれは敵につけこまれやすい たいへん危険なことですよ。それに 任務のためには 友だちをも見捨てなきゃならないこともある」


 これ以降、しばしば忍たまたち、とりわけ保健委員はその優しさが「忍者に向いていない」と指摘されています。同時に、それが良い方にも働いているのが、面白いところかなと。
 敵味方問わず怪我している人を放っておけない伊作は「忍者に向いていない」と言われつつも、結果的にタソガレドキ忍者隊を味方につけることに繋がりました(伏木蔵はそれを「人徳」と言う)。雑渡さんも雑渡さんでその義理堅さで忍たまたちに信頼された結果、忍術学園と敵対するよりも事をタソガレドキに有利に運ぶようにできたわけで。おおこれが『人を破らざるの習い』ということですか()。さすがプロ忍。


 色に関しては遥か昔15巻の時点で乱太郎(と左近にも)弱点として指摘が入っていますね。これも最初に読んだ当時(一ケタ歳)の時は「乱太郎が倒れている人を助けるのはいいことなのに、なぜ「弱点」なんだろう?」とピンと来てなかったですが。

「乱太郎 おまえの弱点って年よりか?」(中略)
「きり丸ってば ちっともわかってないんだから。ほら ずっと前 先生がいってたじゃない」
「なにを?」
「忍者は使命・任務をはたすために 味方を見殺しにしなければならないときもあるって……」
「てことは 道草を食うなってことだな」
「きり丸がいうと忍者の使命も子どものおつかいも同じになっちゃうね」


 この「色」に対する禁制と「人を破らざるの習い」は必ずしも相反する内容とは限りませんが、何にせよバランスとけじめが大切ということなのでしょうね。しっかり巻いてもきつすぎず、すばやくきれいに緩まぬように。(←それ保健委員会の「包帯の歌」や
 むしろ戦国だの歴史だのという概念が芽生えるよりも遥か前に忍たま及び落乱に触れているわけですから、忍者という職業のシビアさを知ったのはずっとずーーっと後のことでした。どちらにしても、そういったことをあまり暗く複雑に考えず、明るく楽しく読める(かつ勉強にもなる)のが落乱の一番の魅力だと思っています。




【カワユイ女の子 と くの一 の話】

 色の話ついでに。それでも落乱は小学生向けのギャグ漫画なので、三禁の『色』を「カワユイ女の子」とし、広い意味で「心のやさしさ」と表しています。
 例によって『万川集海』を読んでいないので、この部分がどういう扱いでどういう記述になっているのか気になりますが、『色』についてはやはり特に女色のことを強く制しているらしいです。古今東西、酒欲色で身を滅ぼした者がそれだけ多いってことなのですね……。
 そしてそれは『色』を使う側についても同じことのようで。所謂「久ノ一の術」というものに対し『概説 忍者・忍術』によると、

 ただし、久ノ一は、やむを得ない場合にのみ使うべきものとされ、基本的には評価されていない。たとえば、『萬川集海』では、
「久の一は、その心は姦拙であって、智も、口も浅はかである者であるから、例えば●○○二つ●●●●○●●●●●にても、見届けないものは無用である。いわんやその他のことはいうまでもない。」
とまで酷評されている。
 つまり、久ノ一は敵と情を交わすことになり、そちらに惚れて味方を裏切る可能性が高いので危険なのだという。


 ……何に驚いたって、●や○の部分が実際に原文でも伏字になっているということなんですけど。どんだけアウトな扱いなんですか(汗)。どういうことなんですか藤林保武さん(※万川集海の作者)。
 お色気くの一の華麗なハニートラップは所詮創作の夢ということで、現実にはかなりリスクの高い術(作戦)ということなんですね。「くの一」は正確には女忍者だけのことを指すのではなく、性欲を利用した術全般を「久ノ一の術」というらしい。よって相手が衆道好みならば美少年が使われることもあったし、ましてや使うのは忍者でなくても良かったとか。
 漫画『忍歌』にもまさに「色」にまつわる話がありますが、個人的にはかなり印象深かったです……。




【潮江文次郎の話】(36巻、55巻)

 最後にいきなりキャラ萌え話をするのもなんですが、文次郎は好い漢ですね。……いや、忍たまたちは「みんな好き」というのが基本思念にあるので、一人のキャラだけ挙げて好きと言われても逆に(自分の中でも)信憑性が薄い私(汗)。ええもうみんな好きです天使です。
 読み返して、改めて「文次郎いいなぁ」と魅力に気づいた話といいますか。今さらですか。多分きっかけは36巻の、忍術を利用しようとする盗賊に対してブチ切れた場面。

「秘伝書にいわく!! 忍術は智謀計略を使い また 石垣を登り鍵をはずして忍び込む ゆえに盗賊の術に近い。それゆえに!! 忍者にとって一番大事なのは正心 すなわち正しい心なのだー!!」

 まさに『万川集海』冒頭に同様の記述があります。「正心とはあらゆる事・あらゆる技の本源であるからだ」とあるように、落乱でも大昔から繰り返し説かれていますね。
 常にギンギンに忍者してる、というのは面倒くさいようで(確かに「常に」は面倒くさいのですが/笑)、誰より何より忍びとしての心構え、忠・勇・謀・功・信を重んじているとしたらとんでもないイケメンじゃないですか……。最近では55巻の、

「おまえはドクタケに捕まってる子分をすぐに助け出さなきゃならんだろーが!! 何かあったとき助けにもきてくれないとわかったら誰もお前になどついてこないぞ!!」
「やい山賊ッ!! 子分を救出に行けよッ!! そしてその後は山賊なんかやめることだな!! おれたちは任務に出発するが 帰り道におまえたちがまだ山賊をやっていたら顔を踏み付けられるだけじゃ済まないぜ」


 と山賊に説教かましているところに惚れました。
 あと不運でのほほんとしている保健委員をなんやかんやで心配しているところにも惚れました(笑)。逆に、熱入り過ぎた文次郎に伊作がツッコミ入れるところもあるし、会計委員会と保健委員会って性質が正反対のようで、一緒になると案外バランスが取れるのかも。個人的に、55巻の見どころかと。


 常にギンギンに忍者してて熱血かつ厳しいけれど、それゆえに実はかなり教師に向いているのかなぁ、とも思います。なんだかんだで几帳面かつ真面目で、面倒見はいいし。タイトル&冒頭に言った某キャラの(自分内)構成ベースに文次郎がある、というのはそのあたりからかもしれない。(ボソッ)
 アニメでは「将来は忍術学園の学園長になる」という野望?があったりしましたが、本当に最終的には学園長になってたら素敵。で、生徒たちに「また学園長先生のギンギンな思いつきが始まったよ」と文句言われていればいい。(笑)

 何年か前に発売されたアニメグッズ「花と忍たま」シリーズにて、尋常じゃないほど花が似合わなかったのには吹き倒しました。食満でさえまあまあ決まっていたのに、なんだ。花のチョイスが悪いのか、根本的に花と相性が悪いのか。そんなところも大好きです。(笑)
 このシリーズ、個人的には「三木ヱ門とチューリップ」「小平太とヒマワリ」「滝夜叉丸と梅」の組み合わせが素敵だなぁと思いました。さすが華やか学年四年生は花似合うなぁ。




 以上です。
 な、長かった……。なんぞこれ。ヲタクの萌え語りと言えば萌え語りですが、果たして落乱カテゴリでいいのかコレ。(汗)
 でも語れて楽しかったです。専門資料が非常に偏っているので、間違っていたらすみません。改めて申し上げますが、私自身は歴史研究とか忍者研究したいとかいうわけではなく、ただの落乱好きのヲタクです。それ以上でも以下でもありません!(滝汗)

 以前、某小ネタSSで金遁の例に『ひしまき退き』を採用しましたが、調べてみると実際には「金属製のまきびしはあまり使わなかった」という話も。手裏剣をあまり持ち歩かなかった、という話は有名ですが(落乱のお約束「誰も手裏剣持ってません」はある意味正しい?)、考えてみれば確かに当時の基準からすれば金属製のまきびしは高価なもので、おいそれと使い捨てにはできそうにない。
 それこそ本物のヒシの実を乾燥させたものもあるらしいので、それを使っていたのか。すると金遁ではなく木遁になりそう……というくらい「●遁」というのは基準が曖昧だとか。どちらかというと後付けらしい。
 金遁は他に「カネを握らせて見逃してもらう」という手もあったらしい。……しまったそっちを採用した方がセコさと残念度が増して良かったか!(笑)

 ここまで読んでくださって、ありがとうございました。

拍手[3回]





 『ドラゴンボール ゼノバース』が気になるのですけども! ゲーム設定がおいしい。しかしアクション苦手だしそもそも対応ゲーム機持ってないのでしょうがないですけどね。アクション、格闘ができないというだけでDBファンとしてはゲーム方面にほとんど手を出せないので切ないですね(汗)。『ドラゴンボールヒーローズ』も相当気になったんですけど。女の子サイヤ人可愛い。黒髪でヘソ出しでポニテでリボンって最強やで……。
 唯一プレイしたことあるのが『サイヤ人来襲』だけ。珍しくRPGである&取り扱われた時期とメンバーが私得のあまり誰得すぎるから。(笑)
 それよか新作劇場版がまたあるってマジですか。30周年やったなぁ。フリーザ様が出たりクリリンがツルッとしてるものでイマイチ時期がわからなかったけど、『神と神』の後らしい。純粋地球人で50歳間近だというのにまだ現役戦士するというのか。頑張ってくださいでも妻子いるから無理しないで。鳥山先生が脚本! あと声優欄見る限りヤムチャも出るらしい(←個人的重要事項)。……声が古谷様というだけで完全にヤツは得してると思う。しかしあの緑ジャージが一瞬それかと思ったよ(笑)。悟飯だった。それはそれで何が起きたし。娘が無事に生まれて、パパになってるのかなぁ。DB的家族愛もまた期待したいです。
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 『ドラゴンボール ゼノバース』が気になるのですけども! ゲーム設定がおいしい。しかしアクション苦手だしそもそも対応ゲーム機持ってないのでしょうがないですけどね。アクション、格闘ができないというだけでDBファンとしてはゲーム方面にほとんど手を出せないので切ないですね(汗)。『ドラゴンボールヒーローズ』も相当気になったんですけど。女の子サイヤ人可愛い。黒髪でヘソ出しでポニテでリボンって最強やで……。
 唯一プレイしたことあるのが『サイヤ人来襲』だけ。珍しくRPGである&取り扱われた時期とメンバーが私得のあまり誰得すぎるから。(笑)
 それよか新作劇場版がまたあるってマジですか。30周年やったなぁ。フリーザ様が出たりクリリンがツルッとしてるものでイマイチ時期がわからなかったけど、『神と神』の後らしい。純粋地球人で50歳間近だというのにまだ現役戦士するというのか。頑張ってくださいでも妻子いるから無理しないで。鳥山先生が脚本! あと声優欄見る限りヤムチャも出るらしい(←個人的重要事項)。……声が古谷様というだけで完全にヤツは得してると思う。しかしあの緑ジャージが一瞬それかと思ったよ(笑)。悟飯だった。それはそれで何が起きたし。娘が無事に生まれて、パパになってるのかなぁ。DB的家族愛もまた期待したいです。
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