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雑多な語り場。所謂「オタク」「同人」「二次創作」と呼ばれる要素全開かつ超ミーハーなので、そういったものが苦手な方は御注意を。更新は月2~3回程度ののんびりペースです。
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【2017/12/15 (金) 05:50】 |
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『百花百狼』関連語り メモ
果物【管理人】
百花百狼の制作者インタビュー(http://www.girls-style.jp/special/hyami/)にて、『サードパーソンビュー』へのこだわりについて語られていたのが嬉しかったです。ディレクターさんの、

「正直、自分=ヒロインとしてプレイしたい方には、ヒロインが画面に見えてしまう演出は違和感があるかもしれないんですが、今回のお話はマンガを読むように楽しんでいただける内容になっているので、ヒロインはお話の中のヒロインとして客観的に見ていただけるのではないか。そのヒロインに、読者としてちゃんと感情移入していただけると思ったので、思い切ってみました。」

に大変納得。
『サードパーソンビュー』って、乙女ゲームとしては珍しい演出(私が知っている中ではあと遙かなる時空の中で4くらいしか覚えがないです)だなぁと思ったのですが、やっぱり主人公への感情移入的な観点で避けられているんですね。
私はむしろ臨場感があって、物語に入り込めたので、こういう演出はもっと増えてもいいのになぁと思うくらいですが。

特に戦闘シーンとの兼ね合いが良い。主人公と半蔵が背中合わせで構えるシーンはグッと来るものがあるし、キャラクターたちが立ち位置を変えながら斬り合う演出もかっこいい。
確かに、アドベンチャー形式のゲームでは「戦闘シーン」の描写は難しいものがあると思います。けれど百花百狼はガンガン戦闘しまくってますね。
地の文における「戦闘描写」も本当に細かくて、武器だけじゃなく、かなり体術も駆使した動きになってるんですよね。読み込めば読み込むほど「凄いなぁ」と感心してしまいます。私もこういうカッコいい戦闘描写書いてみたいですわ……。

これって、ディレクターさんが格闘技好きっていうのが大きいのでしょうか。と、勝手に思っています。
乙女ゲームのキャラクターで「体重」まで設定してあるのは珍しいなと思ったのですが、月下丸について「格闘家のデータを参考にして、重めに設定して、“筋肉”の分を上乗せした」とのことで、なるほどなぁと。確かに月下丸は、脱いだら凄いです(笑)。惚れます。蝶治郎もかなり体格いいですし。


インタビュー内でちらっと触れられていたのですが「忍者」で「伊賀」と「甲賀」で「ロミオとジュリエット」やったら、もうそれ『甲賀忍法帖』ですよ! と内心ツッコんだ私がいる(笑)。
そうえいば黒雪の「瞳術」は弦之介や朧のそれを彷彿とさせるものがありますね。元々、主人公に対してはその立ち位置や性格的に朧のイメージを抱いていたのですが、月下丸の羽多野さんが筑摩小四郎だったのを思い出して、主人公の声が水樹さんで脳内再生されるようになったのはここだけの話。


それから、『月下の唄は影よりも黒く』CD聴きました。
バッドエンド曲『蒼い散華』も絶望感満載の切ない歌詞ですが、ハッピーエンド曲『絶えざる花』は聴いてて衝動的ににブワッと来るものがあります。
歌の内容が「触れたら壊れてしまいそうなほどの、淡く儚い幸せ」というのもあるんですが、ゲーム本編の後、「エンディングにたどり着いた」という感慨を思い出してしまって。
特に月下丸ルートと半蔵ルートは死と隣り合わせの過酷な逃避行の物語だったので、あの終わり方が凄く好きなんです。 ハッピーエンドにたどり着いた時は「ああ、苦しかったけど、ようやく二人の安らぎの場所を見つけたね……! 幸せになれよ……!」という気持ちでいっぱいになりながらエンディング聴いてたので、そのことを思い出してしまう。
サビ直前の「♪あなたを想っていた」でキャラクターのイラストがパァッと現れる演出が好きです。

高井ウララさんのゲームBGMもとっても素敵なんですが。 アップテンポの戦闘シーンの曲にしても、切ないシーンの曲にしても、和風ベースなんだけど「和」に縛られない音楽なのが、とても好きなのですが。
が、だからこそなんでゲームに「音楽鑑賞」がないんですか!!と血涙。 サントラ早く……早く出してください……。
五右衛門ルートのクライマックスでしか流れない華やかな大団円曲があるのですが、当初は攻略キャラルートとは別に「大団円ED」の構想もあったらしいですね。その内容も気になるところですが、『百花百狼』という物語の性質上難しかったので、大団円の役割が五右衛門ルートに当てられたということでしょうか。


真田丸 第十三回
果物【管理人】
多分、史実関係以外でそんな重大なネタバレはないと思いますが再放送派の人は一応、ご注意ください。


 上田城の戦いって「少数の真田が徳川の大軍を退けた」という痛快劇のイメージがあったのですが、今回は何と言いますか……とことん「庶民の目線」の描き方をしてありますね。
 敵味方関係なく、あの時代、戦において真っ先に突撃して死ぬのは足軽。真田の策が上手いこと回っている痛快さよりも、どこから矢や鉄砲が飛んでくるかわからない恐怖、逃げ場を失って追い詰められ、四方から殲滅させられる絶望感、といった足軽の視点になってしまって、観ている間中「合戦面白い!」じゃなくて、「戦は怖い」という寒気ばかりが走っていました。『タイムスクープハンター』観てる時の気分。無残に散った死屍累々……。
 その上でラスト、信繁が悲しみにおいおい涙してる場面で、「徳川側の死者は1300人あまり。真田側の死者は50人にも満たなかった」というナレーションの容赦ない無情さがいい仕事し過ぎです……。常に死と隣り合わせの戦乱真っ只中の世界であろうと、本来「人の死は数の多少ではない」ということを暗に突き刺してくる気がしました。第十一回の時もそうですが、視聴者に熱狂と同時に冷水もぶっかけてくれる仕様。

 「熱狂と冷水」「祝福と呪い」が交互にボディーブローかましてくれて(ドラマ力的な意味での)満身創痍の中に、昌幸のドヤ顔で餅を千切ってからの「……手を洗ってくる。」くだりとか、梅のピンチに颯爽と現れクナイ三本同時投げで敵を撃退する佐助のカッコ良さに癒される――から止められないです。(謎の恍惚)

 今回のアレ「風雲!うえだ城」とか言い出したの誰なんですか……世代じゃないのに元ネタわかってしまった自分もどうかと思いますが、世代じゃないのが惜しい。(笑)
 「ここぞ!」とばかりにOPテーマと共に現れた昌幸の登場シーンすごいカッコ良かったんですが、上記にあるようにこの時点で心は徳川軍足軽の気持ちに乗ってしまっているので、HPMP尽きかけ逃げるに逃げられない状況でトドメと言わんばかりのラスボスの登場に、「あ、もうこれ全滅や」と絶望しかなかったです……。きりが零した「こんなの戦じゃない」という言葉が沁みる。

 来週、いよいよ豊臣勢登場で楽しみすぎて今からワキワキしてます。豊臣秀吉は、明るいひょうきん者である『聖』の側面と、残酷な独裁者である『邪』の側面を併せ持っている、複雑な人間性が、良くも悪くも魅力だと思います。立身出世時代の輝きと、晩年の愚行があまりにもイメージ違い過ぎて、まともに描こうとすると非常に難しい人物、という印象。「歯車が狂ってゆく天下人」の様をガッツリ描かれるらしいので、(私にとっては)未知の「秀吉像」に胸が躍ります。
 全国の秀吉クラスタ様が歓喜した(と思われる)「とよとみのひでよし」という言い方は、一応、知識としては頭の中にあったのですが、そんなに深く気にしていなかった分、改めて劇中に出されると、不思議な感慨?が……。こだわりを感じます……。(公式サイトの人物紹介も『羽柴家』になっている)

 公式サイトの時代考証の方の解説が、大変勉強になります。考えてみれば当たり前のことなんですが、侍と足軽って筋肉の付き方も違えば、根本的な戦い方も違うんですよね。


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若い男女の師弟の間でぶつかり合う、淡い想いの混じった、葛藤。

 その場合、蝶治郎のポジションがかぐらに当たるのですが。使命として、大切な者を討たなくてはならない。心を殺して立ち向かうも、いざ目の前にすると躊躇ってしまう。

 「半蔵」が「ハンゾウ」、「忍者」が「ニンジャ」、「伊賀」「甲賀」が「イガ」「コウガ」、「魔物」が「マもの」と自動変換されるマイPCの青の天外に染まり具合が重症な果物ですこんにちは。
 ――という感じに冒頭、引き合いがマイナー過ぎて(百花百狼プレイヤーの方々には)きっと誰にも通じないだろうなと思いながら私得ネタを書いています。どうぞ生暖かい目でそっと流してやってください。(汗)

 最初、主人公は従兄であり師匠である蝶治郎を『完璧な人間』『理想の忍び』として、強い憧れの目で見てるんですね。でも蝶治郎はいつもどこか別の、遠い所を見ていて、なかなか振り向いてもらえない。
 そんな『兄様』に認められたい役に立ちたいと、ただひたすら尊敬と思慕を抱いていたところ、本当は傷だらけで儚く脆い人だと知ってしまう。制作者の方から「一番かわいそうで情けないキャラクター」と言われてしまう師匠ェ……。“不憫萌え”担当。
 そのあたりは、マ界堕ちした水月を目の当たりにしてショックを受けるかぐらと重なりました。……そういえば水月も“不憫萌え”タイプですね。(※あくまで個人的な印象です)

 ただ百花百狼は(さすがに乙女ゲームということもあり)蝶治郎→←←←主人公くらいの両片想いではあるけど、カラホトの師弟は一方通行なのが美味s(殴)…辛いところ。
 別に水月はかぐらに対して愛情がないわけじゃないけど(むしろ彼の大切なものの一人として組み込まれているけど)、師匠の博愛的でプラトニックな優しさが、時に彼女にとっては残酷だったりしたら美味s(殴)…切ない。

 ……さっきから私は何が言いたいんでしょうかと自分でも。(汗)
 以上、引き合いがマイナー過ぎて誰にも通じないだろうなという話でした。ただの私得でした失礼しました。でも万が一通じた方には全力で握手しに行きます。行かせてください。(真顔)


 茶菓菜屋より11日、13日、19日、24日にweb拍手と、3月8日の記事拍手ありがとうございました。

 ドラマ『精霊の守り人』の、殺陣のスピード感・迫力と、アジアンファンタジーな世界観に、アドレナリン放出されまくって観てる間中脳内がヒィヒィしてます。
 『オリエンタルブルー』好きとしては、衣装とか小道具とか自然や町の風景とかのリアルな質感を舐めるように見入りながら、青の大地に思いを馳せて「ああ、あそこのアレが実際にあったらこんな感じなんだろうなぁ」と想像してはニヨニヨ。天帝宮とかカラホト国あたりのアレソレを彷彿とさせます。(←ドラマの見所は間違ってないけど見方が大いに間違ってる)
 いえ、ちゃんと物語も楽しんでいますよ!(汗) 原作も気になるんですけど、とりあえずは純粋に実写の要素を堪能してから、じっくり読みたいなぁと思います。

 バルサの「生きていることを恐れるな。それが一番、恐ろしい魔物だ」という言葉に、百花百狼や真田丸見た後だと、どう言葉にしていいのか、妙な感慨を抱きました……。
 敵役ですが、狩人たちがカッコ良すぎて痺れます。帝の命を冷徹に遂行する『影』であり、容赦のない、非情なプロフェッショナルを感じさせるあたり、“忍び”を彷彿とさせて。黒い小手、マント、鎖帷子、青を基調とした衣装のデザインも素敵。


 『遙かなる時空の中で2』の神子(高倉花梨)みたいに、『百花百狼 戦国忍法帖』は最初、主人公(上野槐)がとても“未熟”で“頼りない”ところからスタートするのが好きです。
 乙女ゲームって「攻略キャラが主人公に変えられる」パターンが多い気がしますが、これは「主人公が攻略キャラに変えられる」要素が強いのがいいですね。主人公が相手の心を捕らえるほど変化したからこそ、相手も変化する。

※以下、重大なネタバレはしていませんが、敏感な方はご注意ください。

 「弟子は師に似る」と言われますが、確かに蝶治郎と主人公の同調具合は見ていて凄まじいものがあります。
 単に忍びとしてだけじゃなく、同じ『里長の子』であるから、そういういった意識の教育も受けていたんでしょうね。序盤ではしばしば「長の子として~」と言われていたし。主人公の人格形成に、蝶治郎の影響は大きかったのかも。忍びに向かないとされる優しさは月下丸の影響、自己評価の低さは父親からの圧力によるものだと思いますが。

 その一方で、半蔵ルートでは半蔵を師とした主人公がどんどん彼に似ていくのが面白いですね。再会した甲賀の仲間がショックを受けるほど、強くたくましく変貌してしまう主人公。恋愛方面も、半蔵も相当大胆になりますが、主人公も全ルートの中で一番大胆で一番甘い台詞を吐きます。揺るがない、自信の付き方が凄い。
 里で大切に育てられた「おひいさま」だった主人公を、女子力(物理)女子力(嫁)もカンストさせてしまう半蔵様の教育力、恐るべし。(笑)
 ただ単に「最強」なだけでなく、他人にちゃんと教えることができる「最強」なのが見事です。


 物語の中で主人公は精神的な成長や変化をするのですが、ルート(=一緒にいる相手)によって、『変化の方向』が変わるのが面白いところです。
 半蔵ルート終わった後、フラグ立て直しのためにシナリオ最初からプレイしたのですが、序盤の主人公がまったく別人のように思えてしまったあたり、半蔵ルートでの成長の凄まじさがより実感できます。そりゃ甲賀の仲間が驚くのも無理ない。

 半蔵ルートの主人公は黒雪と、黒雪ルートの主人公は半蔵と相性悪そうなのにニヤリとします。黒雪ルートで伽羅姉様から「そんなのただの依存じゃない!」「どうしてそんなに腑抜けになっちゃったのよ!」とキツく叱られるのがたまらんです。半蔵から「馬鹿め……!」と蔑まれる(?)のがたまらんです。(←どういう趣味)
 そして月下丸と半蔵の意外な相性の良さ(性質的に似た部分が多い)が、主人公の『変化の方向』にも見て取れるのが面白いです。


 五右衛門ルートは、スチルを見ればわかるのですが、主人公がとても自然体で『普通の女の子』の顔をしているのにホッとします。他ルートは緊張感が強い分。
 忍びとしての生き方しか知らなかった主人公に、別の生き方を教えてあげた五右衛門の包容力と大らかさに惚れ倒しました。

 「遊び人」という設定からチャラ男かと思いきや、とんだ紳士ですよ。積極的に口説こうとしながらも、主人公の方から踏み出すまで、絶対行き過ぎないんですよ。一番「待てる」男ですよ。(笑)
 五右衛門の包容力は主人公以外にも向けられいて、ルートでは二人きりでいることよりも多くのキャラが絡んでくるシーンが多いのですけど、変に嫉妬することもなく、傍でニコニコしながら見守ってる。場を和ませたり、助け舟を出したり、危なっかしい相手のことはちゃんと諭してくれる。オトンっぷりが半端ないです。

 でも口だけじゃない「自由」や「不殺」を貫くには、それ相応の精神力や実力をしっかり伴っての上なので、実は人間の残忍さを一番知っているし持っている。
 そういう、自分の足でしっかりと立っている強さと、人の手を引いて救ってあげられる懐の深さと安定感を持つ人が、たまーーにポロッと見せる弱味や寂しさに、ガンゴロゴロドンバタンとあっという間に落とされて行きます。(騒がしい)

 五右衛門ルートの主人公は、月下丸や半蔵ルートのような、傷ついても生き抜く覚悟を決めた『強さ』とは違いますが、自分に自信を持って真っ直ぐに生きようとする、芯の通った安定感を持つようになります。
 どう例えたらいいのか……戦士としての誇り高い『強さ』じゃなくて、庶民としての『強さ』を思わせます。「どんなに泥にまみれても、情けなくても、生きてさえいれば何とかなる!」という。
 力強い安心感と共にある五右衛門ルートは、一番癒されます。通俗時代劇のような痛快さがあるし、他ルートが非常にハード&シリアスな分、最後にプレイすると色々と心が救われる。家康と半蔵をこんなふうに扱うのもいい。(笑)

 そんな五右衛門ルートがあるからこそ、私は『忍法帖』要素がむき出しな月下丸ルートのストーリーが一番好きです、と言えます。チョコポテチ現象。


 結局、百花百狼の『服部半蔵』は三代目半蔵・服部正就のことなのかゲーム中でもインタビューでも言及されませんでしたが(「半蔵」の名は受け継がれる、とは言われていましたが)、半蔵ルートの主人公との絆や終盤の展開は、『服部正成と松平信康』の関係を意識して描かれたものだとしたら、激しく滾ります。私が。
 家康は、半蔵の父(正成)と自分の息子(信康)のことを見ていたからこそ、それに対して自身の中にも複雑な気持ちがあったからこそ、半蔵に主人公のことを(単に「死なせない」という意味だけではなく)“守りなさい”と命じたのだとしたら、激しく滾ります。私が。

 ……多分、制作者の方々はそこまで考えてないと思われます。ただの個人趣味全開の深読みですどうもすみませんでした。(土下座)

 家康と半蔵は「言葉はなくとも通じ合う」タイプの最強主従ですが、一方で親子ほど年が離れているので(家康の外見が完全にツッコミ待ちのデザインなのでうっかり麻痺しかかっているのですが、50代後半である)、家康からしてみれば半蔵に対してはちょっと父親的な目線もあるんだろうなというのがちょいちょい窺えるところに、激しく滾ります。私が。
 半蔵に「忍びとしての教育を徹底した」のは師である百地丹波だと思うのですが、幼い半蔵を伊賀に修業に出すという方針を取ったのはやはり父である正成なんでしょうか。心を閉ざして生きる半蔵をどこかで心配して、亡くなる前にそれとなく家康に息子のことを託したか、その“心配”を家康が察して心に留めていたのだとしたら、激しく滾ります。私が。

 ……多分、制作者の方々はそこまで(略)。どうもすみませんでした。(土下座②)


 さっきからゲームの内容とあまり関係ない話ばかりですみません。(汗)
 内容に踏み込み過ぎるとネタバレに触れてしまうし、かといって斜め上の方向の妄想ネタばかりもどうかと。しかしそのネタからまったく乙女ゲーム臭がしないというのが、どうなってるんだ百花百狼。(←酷い責任転嫁)
 いや、その、誤解なさらないでください。ゲーム本編はちゃんと乙女ゲームやってます。でも別ルートで恋仲にならない場合のキャラとの関係性にも激しく燃えてしまったり、呪術の血統とか、横に横に気になる要素に引きずられて行ってしまうのがまた魅力なのかと。

 最初の前提として、この『服部半蔵』が服部正就とは限らないという時点でどうしようもないです。仮に正就だとしても、経歴や立場、そもそも伊賀者と甲賀者の形態が史実とは大きく異なっているので、意味はありませんが。(ちなみに、史実の服部正就は「半蔵の落ち目」と言われて評判よろしくないのです)
 あくまで“戦国忍法帖世界”での話です。


 ここまで読んでくださって、ありがとうございました。
 発売から一ヶ月経ちましたね。感想ちゃんと書こうと思って文章打ち込んでいるのですが、書きたいこと、思うこと、考察的なアレソレがありすぎていっぱいいっぱいで、なかなか進みません。まとまらなさすぎて↑のような勝手な妄想ばかりが先走り、公式様に送れるようなちゃんとした感想文が書けない。(アンケートには簡易的に……のつもりで結構みっちり書いてしまいましたが)
 いっそもう諦めて、猛り狂う(?)心に任せるまま小説の一本でも書こうか……と思う今日この頃です。

拍手[4回]

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【2016/03/28 (月) 04:14】 | 百花百狼 戦国忍法帖
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『百花百狼』関連語り メモ
果物【管理人】
百花百狼の制作者インタビュー(http://www.girls-style.jp/special/hyami/)にて、『サードパーソンビュー』へのこだわりについて語られていたのが嬉しかったです。ディレクターさんの、

「正直、自分=ヒロインとしてプレイしたい方には、ヒロインが画面に見えてしまう演出は違和感があるかもしれないんですが、今回のお話はマンガを読むように楽しんでいただける内容になっているので、ヒロインはお話の中のヒロインとして客観的に見ていただけるのではないか。そのヒロインに、読者としてちゃんと感情移入していただけると思ったので、思い切ってみました。」

に大変納得。
『サードパーソンビュー』って、乙女ゲームとしては珍しい演出(私が知っている中ではあと遙かなる時空の中で4くらいしか覚えがないです)だなぁと思ったのですが、やっぱり主人公への感情移入的な観点で避けられているんですね。
私はむしろ臨場感があって、物語に入り込めたので、こういう演出はもっと増えてもいいのになぁと思うくらいですが。

特に戦闘シーンとの兼ね合いが良い。主人公と半蔵が背中合わせで構えるシーンはグッと来るものがあるし、キャラクターたちが立ち位置を変えながら斬り合う演出もかっこいい。
確かに、アドベンチャー形式のゲームでは「戦闘シーン」の描写は難しいものがあると思います。けれど百花百狼はガンガン戦闘しまくってますね。
地の文における「戦闘描写」も本当に細かくて、武器だけじゃなく、かなり体術も駆使した動きになってるんですよね。読み込めば読み込むほど「凄いなぁ」と感心してしまいます。私もこういうカッコいい戦闘描写書いてみたいですわ……。

これって、ディレクターさんが格闘技好きっていうのが大きいのでしょうか。と、勝手に思っています。
乙女ゲームのキャラクターで「体重」まで設定してあるのは珍しいなと思ったのですが、月下丸について「格闘家のデータを参考にして、重めに設定して、“筋肉”の分を上乗せした」とのことで、なるほどなぁと。確かに月下丸は、脱いだら凄いです(笑)。惚れます。蝶治郎もかなり体格いいですし。


インタビュー内でちらっと触れられていたのですが「忍者」で「伊賀」と「甲賀」で「ロミオとジュリエット」やったら、もうそれ『甲賀忍法帖』ですよ! と内心ツッコんだ私がいる(笑)。
そうえいば黒雪の「瞳術」は弦之介や朧のそれを彷彿とさせるものがありますね。元々、主人公に対してはその立ち位置や性格的に朧のイメージを抱いていたのですが、月下丸の羽多野さんが筑摩小四郎だったのを思い出して、主人公の声が水樹さんで脳内再生されるようになったのはここだけの話。


それから、『月下の唄は影よりも黒く』CD聴きました。
バッドエンド曲『蒼い散華』も絶望感満載の切ない歌詞ですが、ハッピーエンド曲『絶えざる花』は聴いてて衝動的ににブワッと来るものがあります。
歌の内容が「触れたら壊れてしまいそうなほどの、淡く儚い幸せ」というのもあるんですが、ゲーム本編の後、「エンディングにたどり着いた」という感慨を思い出してしまって。
特に月下丸ルートと半蔵ルートは死と隣り合わせの過酷な逃避行の物語だったので、あの終わり方が凄く好きなんです。 ハッピーエンドにたどり着いた時は「ああ、苦しかったけど、ようやく二人の安らぎの場所を見つけたね……! 幸せになれよ……!」という気持ちでいっぱいになりながらエンディング聴いてたので、そのことを思い出してしまう。
サビ直前の「♪あなたを想っていた」でキャラクターのイラストがパァッと現れる演出が好きです。

高井ウララさんのゲームBGMもとっても素敵なんですが。 アップテンポの戦闘シーンの曲にしても、切ないシーンの曲にしても、和風ベースなんだけど「和」に縛られない音楽なのが、とても好きなのですが。
が、だからこそなんでゲームに「音楽鑑賞」がないんですか!!と血涙。 サントラ早く……早く出してください……。
五右衛門ルートのクライマックスでしか流れない華やかな大団円曲があるのですが、当初は攻略キャラルートとは別に「大団円ED」の構想もあったらしいですね。その内容も気になるところですが、『百花百狼』という物語の性質上難しかったので、大団円の役割が五右衛門ルートに当てられたということでしょうか。


真田丸 第十三回
果物【管理人】
多分、史実関係以外でそんな重大なネタバレはないと思いますが再放送派の人は一応、ご注意ください。


 上田城の戦いって「少数の真田が徳川の大軍を退けた」という痛快劇のイメージがあったのですが、今回は何と言いますか……とことん「庶民の目線」の描き方をしてありますね。
 敵味方関係なく、あの時代、戦において真っ先に突撃して死ぬのは足軽。真田の策が上手いこと回っている痛快さよりも、どこから矢や鉄砲が飛んでくるかわからない恐怖、逃げ場を失って追い詰められ、四方から殲滅させられる絶望感、といった足軽の視点になってしまって、観ている間中「合戦面白い!」じゃなくて、「戦は怖い」という寒気ばかりが走っていました。『タイムスクープハンター』観てる時の気分。無残に散った死屍累々……。
 その上でラスト、信繁が悲しみにおいおい涙してる場面で、「徳川側の死者は1300人あまり。真田側の死者は50人にも満たなかった」というナレーションの容赦ない無情さがいい仕事し過ぎです……。常に死と隣り合わせの戦乱真っ只中の世界であろうと、本来「人の死は数の多少ではない」ということを暗に突き刺してくる気がしました。第十一回の時もそうですが、視聴者に熱狂と同時に冷水もぶっかけてくれる仕様。

 「熱狂と冷水」「祝福と呪い」が交互にボディーブローかましてくれて(ドラマ力的な意味での)満身創痍の中に、昌幸のドヤ顔で餅を千切ってからの「……手を洗ってくる。」くだりとか、梅のピンチに颯爽と現れクナイ三本同時投げで敵を撃退する佐助のカッコ良さに癒される――から止められないです。(謎の恍惚)

 今回のアレ「風雲!うえだ城」とか言い出したの誰なんですか……世代じゃないのに元ネタわかってしまった自分もどうかと思いますが、世代じゃないのが惜しい。(笑)
 「ここぞ!」とばかりにOPテーマと共に現れた昌幸の登場シーンすごいカッコ良かったんですが、上記にあるようにこの時点で心は徳川軍足軽の気持ちに乗ってしまっているので、HPMP尽きかけ逃げるに逃げられない状況でトドメと言わんばかりのラスボスの登場に、「あ、もうこれ全滅や」と絶望しかなかったです……。きりが零した「こんなの戦じゃない」という言葉が沁みる。

 来週、いよいよ豊臣勢登場で楽しみすぎて今からワキワキしてます。豊臣秀吉は、明るいひょうきん者である『聖』の側面と、残酷な独裁者である『邪』の側面を併せ持っている、複雑な人間性が、良くも悪くも魅力だと思います。立身出世時代の輝きと、晩年の愚行があまりにもイメージ違い過ぎて、まともに描こうとすると非常に難しい人物、という印象。「歯車が狂ってゆく天下人」の様をガッツリ描かれるらしいので、(私にとっては)未知の「秀吉像」に胸が躍ります。
 全国の秀吉クラスタ様が歓喜した(と思われる)「とよとみのひでよし」という言い方は、一応、知識としては頭の中にあったのですが、そんなに深く気にしていなかった分、改めて劇中に出されると、不思議な感慨?が……。こだわりを感じます……。(公式サイトの人物紹介も『羽柴家』になっている)

 公式サイトの時代考証の方の解説が、大変勉強になります。考えてみれば当たり前のことなんですが、侍と足軽って筋肉の付き方も違えば、根本的な戦い方も違うんですよね。


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『百花百狼』関連語り メモ
百花百狼の制作者インタビュー(http://www.girls-style.jp/special/hyami/)にて、『サードパーソンビュー』へのこだわりについて語られていたのが嬉しかったです。ディレクターさんの、

「正直、自分=ヒロインとしてプレイしたい方には、ヒロインが画面に見えてしまう演出は違和感があるかもしれないんですが、今回のお話はマンガを読むように楽しんでいただける内容になっているので、ヒロインはお話の中のヒロインとして客観的に見ていただけるのではないか。そのヒロインに、読者としてちゃんと感情移入していただけると思ったので、思い切ってみました。」

に大変納得。
『サードパーソンビュー』って、乙女ゲームとしては珍しい演出(私が知っている中ではあと遙かなる時空の中で4くらいしか覚えがないです)だなぁと思ったのですが、やっぱり主人公への感情移入的な観点で避けられているんですね。
私はむしろ臨場感があって、物語に入り込めたので、こういう演出はもっと増えてもいいのになぁと思うくらいですが。

特に戦闘シーンとの兼ね合いが良い。主人公と半蔵が背中合わせで構えるシーンはグッと来るものがあるし、キャラクターたちが立ち位置を変えながら斬り合う演出もかっこいい。
確かに、アドベンチャー形式のゲームでは「戦闘シーン」の描写は難しいものがあると思います。けれど百花百狼はガンガン戦闘しまくってますね。
地の文における「戦闘描写」も本当に細かくて、武器だけじゃなく、かなり体術も駆使した動きになってるんですよね。読み込めば読み込むほど「凄いなぁ」と感心してしまいます。私もこういうカッコいい戦闘描写書いてみたいですわ……。

これって、ディレクターさんが格闘技好きっていうのが大きいのでしょうか。と、勝手に思っています。
乙女ゲームのキャラクターで「体重」まで設定してあるのは珍しいなと思ったのですが、月下丸について「格闘家のデータを参考にして、重めに設定して、“筋肉”の分を上乗せした」とのことで、なるほどなぁと。確かに月下丸は、脱いだら凄いです(笑)。惚れます。蝶治郎もかなり体格いいですし。


インタビュー内でちらっと触れられていたのですが「忍者」で「伊賀」と「甲賀」で「ロミオとジュリエット」やったら、もうそれ『甲賀忍法帖』ですよ! と内心ツッコんだ私がいる(笑)。
そうえいば黒雪の「瞳術」は弦之介や朧のそれを彷彿とさせるものがありますね。元々、主人公に対してはその立ち位置や性格的に朧のイメージを抱いていたのですが、月下丸の羽多野さんが筑摩小四郎だったのを思い出して、主人公の声が水樹さんで脳内再生されるようになったのはここだけの話。


それから、『月下の唄は影よりも黒く』CD聴きました。
バッドエンド曲『蒼い散華』も絶望感満載の切ない歌詞ですが、ハッピーエンド曲『絶えざる花』は聴いてて衝動的ににブワッと来るものがあります。
歌の内容が「触れたら壊れてしまいそうなほどの、淡く儚い幸せ」というのもあるんですが、ゲーム本編の後、「エンディングにたどり着いた」という感慨を思い出してしまって。
特に月下丸ルートと半蔵ルートは死と隣り合わせの過酷な逃避行の物語だったので、あの終わり方が凄く好きなんです。 ハッピーエンドにたどり着いた時は「ああ、苦しかったけど、ようやく二人の安らぎの場所を見つけたね……! 幸せになれよ……!」という気持ちでいっぱいになりながらエンディング聴いてたので、そのことを思い出してしまう。
サビ直前の「♪あなたを想っていた」でキャラクターのイラストがパァッと現れる演出が好きです。

高井ウララさんのゲームBGMもとっても素敵なんですが。 アップテンポの戦闘シーンの曲にしても、切ないシーンの曲にしても、和風ベースなんだけど「和」に縛られない音楽なのが、とても好きなのですが。
が、だからこそなんでゲームに「音楽鑑賞」がないんですか!!と血涙。 サントラ早く……早く出してください……。
五右衛門ルートのクライマックスでしか流れない華やかな大団円曲があるのですが、当初は攻略キャラルートとは別に「大団円ED」の構想もあったらしいですね。その内容も気になるところですが、『百花百狼』という物語の性質上難しかったので、大団円の役割が五右衛門ルートに当てられたということでしょうか。
2016/04/05(火) 13:39 |   | 果物【管理人】 #7dc56b4886[編集]
[管理者用 返信]

真田丸 第十三回
多分、史実関係以外でそんな重大なネタバレはないと思いますが再放送派の人は一応、ご注意ください。


 上田城の戦いって「少数の真田が徳川の大軍を退けた」という痛快劇のイメージがあったのですが、今回は何と言いますか……とことん「庶民の目線」の描き方をしてありますね。
 敵味方関係なく、あの時代、戦において真っ先に突撃して死ぬのは足軽。真田の策が上手いこと回っている痛快さよりも、どこから矢や鉄砲が飛んでくるかわからない恐怖、逃げ場を失って追い詰められ、四方から殲滅させられる絶望感、といった足軽の視点になってしまって、観ている間中「合戦面白い!」じゃなくて、「戦は怖い」という寒気ばかりが走っていました。『タイムスクープハンター』観てる時の気分。無残に散った死屍累々……。
 その上でラスト、信繁が悲しみにおいおい涙してる場面で、「徳川側の死者は1300人あまり。真田側の死者は50人にも満たなかった」というナレーションの容赦ない無情さがいい仕事し過ぎです……。常に死と隣り合わせの戦乱真っ只中の世界であろうと、本来「人の死は数の多少ではない」ということを暗に突き刺してくる気がしました。第十一回の時もそうですが、視聴者に熱狂と同時に冷水もぶっかけてくれる仕様。

 「熱狂と冷水」「祝福と呪い」が交互にボディーブローかましてくれて(ドラマ力的な意味での)満身創痍の中に、昌幸のドヤ顔で餅を千切ってからの「……手を洗ってくる。」くだりとか、梅のピンチに颯爽と現れクナイ三本同時投げで敵を撃退する佐助のカッコ良さに癒される――から止められないです。(謎の恍惚)

 今回のアレ「風雲!うえだ城」とか言い出したの誰なんですか……世代じゃないのに元ネタわかってしまった自分もどうかと思いますが、世代じゃないのが惜しい。(笑)
 「ここぞ!」とばかりにOPテーマと共に現れた昌幸の登場シーンすごいカッコ良かったんですが、上記にあるようにこの時点で心は徳川軍足軽の気持ちに乗ってしまっているので、HPMP尽きかけ逃げるに逃げられない状況でトドメと言わんばかりのラスボスの登場に、「あ、もうこれ全滅や」と絶望しかなかったです……。きりが零した「こんなの戦じゃない」という言葉が沁みる。

 来週、いよいよ豊臣勢登場で楽しみすぎて今からワキワキしてます。豊臣秀吉は、明るいひょうきん者である『聖』の側面と、残酷な独裁者である『邪』の側面を併せ持っている、複雑な人間性が、良くも悪くも魅力だと思います。立身出世時代の輝きと、晩年の愚行があまりにもイメージ違い過ぎて、まともに描こうとすると非常に難しい人物、という印象。「歯車が狂ってゆく天下人」の様をガッツリ描かれるらしいので、(私にとっては)未知の「秀吉像」に胸が躍ります。
 全国の秀吉クラスタ様が歓喜した(と思われる)「とよとみのひでよし」という言い方は、一応、知識としては頭の中にあったのですが、そんなに深く気にしていなかった分、改めて劇中に出されると、不思議な感慨?が……。こだわりを感じます……。(公式サイトの人物紹介も『羽柴家』になっている)

 公式サイトの時代考証の方の解説が、大変勉強になります。考えてみれば当たり前のことなんですが、侍と足軽って筋肉の付き方も違えば、根本的な戦い方も違うんですよね。
2016/04/05(火) 13:42 |   | 果物【管理人】 #7dc56b4886[編集]
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